愛国心については拙ブログでも何度か書きました。
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-709.htmlなど
愛国って言葉を盾に、今回の法案成立を良かったといっている人もいる。自分は愛国者だから、こういう法案は必要だと思うし、今回の多数決による成立は民主主義の手続として、なんら問題ないという。多数決=民主主義だと短絡している人のなんと多いことか!
まあ、こういう人はそこで思考を止めているから、説得しても無理なんだろう。こういう人にとっては、愛国ってえのは単純に今の安倍政権、中国や韓国に対しては拳を振り上げて「断固として」と吠えまくる(そのくせアメリカになにか言われれば黙る犬みたいな【安倍がアメリカの犬だってことは特定秘密か? 笑】)政権を愛することなんだろう。日本の国といういい加減で曖昧な言葉と政権を重ねているだけだ。結局わかりやすいからなんだろうね。ひとびとは考えることをやめて、解りやすければそれに飛びつく。少し前に
夜回り先生の水谷修氏の「きみたちは考えずに反応しているだけだ」という話を紹介したけど、ほんとうにそうだ。そして考えないというのが、ハンナ・アーレントの言う「凡庸な悪」の始まりなんだよね。
国ってなによ? その国ってやつを愛するというのがどういうことなのよ? そういう、もう一歩踏み込んだところまで考えようとしない。愛国と言えばそこで思考は止まってしまう。しかも、彼らがいう愛国は他国の批判をはねつけ、日本の過去に目を閉ざすこと。自分の都合の悪いことは認めないのは、今の日本の社会と同じである。どうして日本だけ(=自分だけ)特別な存在にしたがるのだろう??
結局 愛国 という言葉を安易に振りかざす人たちは、それでいっぱしの国士になった気分に浸りながら、日本という国を自らに重ね、日本が一等国になれば自分も一等人種になれると勘違いしている、気持ちの悪いナルシストの差別主義者にほかならない。

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