ルディ・ダーネンスと聞いても、知らない人のほうが多いのかもしれませんね。選手としては飛び抜けた活躍をしたわけではないですから。でも日本で開かれた世界選手権宇都宮大会のプロ個人ロードでの優勝者ですから、ある一定の年齢以上の自転車ファンには懐かしい名前だと思います。

我が家に残っていたバイシクル・クラブの宇都宮世界戦特集号。このころのバイシクル・クラブは結構日本の自転車界に対して辛口でした。主義主張のある硬派の自転車雑誌という印象でしたね。創刊号からずっと持っていたんですけど、置き場所に困って、何冊か除いてすべて処分してしまいました。今考えると、ずいぶんもったいないことをしたものです。
さて、ダーネンスにもどりますが、日本で世界チャンピオンになってから少し後で心臓に問題があるということで引退し、たしかツール・ド・フランドルのTV解説で現地へ向かう途中、交通事故で亡くなったんだと記憶しています。
この選手、レーシングキャップのかぶり方が格好良かったんですよ。当時のレースはノーヘルだし、サングラスなんてしている選手はほとんどいなかったし、すぐに選手の見分けがついたものでした。ヘルメットはどうしたって必要でしょうけど、サングラスは陽が差さないようなときには禁止にして欲しいところですが、まあ、メーカーの大反対だろうなぁ。

これはヒタチ時代の1986年にツールでステージ優勝したとき。この年の前後には結構優勝していて、パリ〜ルーベでもケリーにはスプリント負けするけど、3位以内になっていたんじゃなかったかと思います。
というわけで、今日ご紹介するのは1989年のツール・ド・フランス。この年、NHKは衛星放送で毎日、夕方1時間ダイジェスト、といってもほとんどのケースは最後の30分ぐらいをそのまま放送していました。
この年はシャンゼリゼでグレッグ・レモンがローラン・フィニョンに8秒差の逆転勝利を収めるという、むちゃくちゃ劇的な終わり方をしたので、一般にもずいぶんと知られた年だったと思います。NHKはすでに85年にサンデー・スポーツのなかでツールをかなり詳しく放送し、総集編まで放映したので、このときにツールの存在を知った人も多かったはずですが、この年は衛星放送とはいえ、毎日放映でしたからね。わたしもこのとき衛星放送のアンテナとチューナーを買ってきたのでした。
さて、このときの第11ステージです。僕にとっては非常に記憶に残るレースでした。
ラスト4キロぐらいで逃げグループが大集団に捕まりますが、その直前にダーネンスが単独でアタック。

どんどん差を広げて、ラスト1キロを切ったところでは20秒ぐらい?リードをしています。残りはすでに200メートルで、最後のコーナーへ。

と、そこでなんとダーネンス落車。

慌てて自転車へ駆け寄りますが、後輪のタイヤが外れてますね。

当時は自転車レースのTV映像なんて珍しかったし、こんな風に劇的なシーンなんて見られませんでしたから、このレースは何度も繰り返し見たものでした。今日久しぶりに見てみると、放送のテンポも解説もなんとものどかな時代です。
ただ、このくやしがるダーネンスの姿から、この選手の印象は強く心に残って、90年の世界戦、プロロードの最終周を峠の一番上で見ていたんですが、ダーネンスとデ・ヴォルフが逃げてきたとき、ダーネンスはすぐにわかりましたね。と同時に、思いっきり応援しました。まあ、このときの世界戦のお話はまた、きっと、いつか 笑)

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