まあ、落ち目になった権力者はだいたいこうなるものなんでしょう。rsn によると、アームストロングの告発と関連して、UCIの前々会長ハイン・フェルブリュッヘンは母国のオランダでも叩かれ始めましたね。オランダの新聞には元選手たちのフェルブリュッヘン批判が色々出はじめているそうです。
まずは80年台終わりから90年台始めにかけてツール・ド・フランドルに2勝したエドヴィッヒ・ファン・ホーイドンクの話。「引退後、フェルブリュッヘンとの話で、EPOが90年代の初め頃から選手の間に蔓延していることを彼に警告した。彼は、君の話は大げさだと言った。」
ラルプ・デュエズで勝ったこともあるペテル・ヴィネンも、その当時、かなりたくさんの監督たちがUCIにEPOが蔓延していることを警告したのに、完全に無視されたと批判していますね。
ところで、ファン・ホーイドンクは巨漢選手で89年の立川のスーパークリテリウムでフィニョンを破って優勝した選手でした。ベルギーでは当時はプロ入り年齢に下限があったのに、ファン・ホーイドンクは特例でその年齢制限に達する前にプロ入りしたんじゃなかったかと思います。ものすごい才能の持ち主と言われていたけど、良く言われていたのは練習嫌い。30歳で引退しちゃうんですけど、練習嫌いという評判から、辛いのが嫌で早めにやめたのかと思っていましたが、 rsn では、当時結構いたドーピングが嫌でやめた選手の一人だった、という評価です。まあ、確かに、神童とかメルクスの再来と騒がれた割に、フランドル以外あまり活躍できなかったのも、クリーンだったことの証明になるのかも??
次はもっとひどい話を、もとPDMのペテル・ステフェンハーヘンが語っています。彼はあるインタビューでUCIを批判したんだそうです。すると、1988年のツール・ド・スイスでフェルブリュッヘンが彼に話しかけてきて、こう言ったそうです。「おい、おまえには問題があるな。選手なんか私にとっては潰すことだって簡単なんだぞ。誰が陽性かを決めるのは私なんだからな。PDMで何が起こっているかだってわかっているんだぞ」。ステフェンハーヘンはそれで完全に怖じ気づいてしまったそうです。彼の話。「しかもその後は私はドーピングチェックを以前よりもずっと頻繁に受けなければならなくなった。私は不安に駆られて、1988年のツールに出場するのを辞退した。そしてコルチゾンとテストステロンのビンを捨てた。」まあ、この選手の場合、ドーピングしていたわけです。で、PDMチームもこの頃のツールでチーム全員がいっせいに途中棄権したときも、ドーピングの失敗が噂されたものでしたっけ。
きっと、こうした話はまだまだ出てくるんでしょうね。ただ、ウミは早く出し切ってしまったほうが良いでしょう。

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