いつものように、シネフィル・イマジカ。昔はモーツァルトの姉ってナンネルルって言っていたっけ。それはともかく、このナンネルとか、メンデルスゾーンの姉ファニーとか、クララ・シューマン、あるいはグスタフ・マーラーの奥さんになったアルマなんかも、弟や夫がなにしろ天才で有名だから、みんなの関心はそっちに向かってしまって、オマケみたいに見られていたんだろうから、お気の毒。
この映画でも父のレオポルト(この俳優はレオポルトのイメージにピッタリ)は弟のヴォルフガングのことばかり向いていて、水疱瘡で寝込んだりした日にはべそかきながらベッドにつきっきり。ナンネルに対してはクラブサンの演奏はともかく、作曲ははなから相手にせず、作曲することそのものを禁じてしまう。
それと平行して、偶然知り合い友だちとなるフランス王ルイ15世の娘も、修道院へ入れられてしまうわけだし、この時代の女性たちは自分の可能性を追い求めることなど完全に不可能だったんだろう。だからこそ、
以前ここで紹介したクララ・シューマンの映画では、監督のヘルマ・サンダース・ブラームスは、あえて史実に逆らってでもクララを解放させたんだろう。
今回のナンネルも史実とは違って、かなりの作り話が入っているようで、王家の人たちとの話はどれも史実ではないらしい。ただ、クララ・シューマンの映画を見終わったあとの、爽快感とまでは言えなくとも、気持ちの良さに対して、こちらはナンネルが気の毒でならないし、最後のテロップを読むと、胸潰れる思い。どうせ史実に反するなら、王太子を逆に振ってやったら良かったのに、と思った。
灰色の雲が低く垂れ込めたヴェルサイユ宮殿や森の中を馬車でいくシーンも、宮廷の中のシーンも、夜の蠟燭のあかりも、見ていて楽しかったし、出てくる女性がみんな首の長いシルエットのきれいな人たちばかり。有名なモーツァルト一家のスカトロ趣味もあちこちにちりばめられていた。ただ、今アマゾンのレビュをみたら、みんな点数悪いけどね。
その前に同じくモーツァルトがらみで「ドン・ジョヴァンニ 天才劇作家とモーツァルトの出会い」というのも見た。
だけど、こちらはどうも主人公のダ・ポンテに感情移入できなかった。そもそもあんな浮気性の男が、真の愛を見つけたなんて言ったって、信用できないでしょうが。
「ナンネル」のほうがリアリティを追求したようなシーンばかりだったのに対して、こちらはヴェニスの町中からウィーンの遠景まで、あるいはカサノヴァの図書館も、どれも舞台の書き割りみたいな作り物じみたところを強調していて、それはそれで、フェリーニなんかがよくやったみたいに、場合によってはおもしろくなりそうなんだけど、どうも内容と特にマッチした感じがしなかった。まったく違うタイプの映画だけど、僕の好みは圧倒的に「ナンネル」ですね。

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト
trackbackURL:http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/tb.php/1536-2ffa4996