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グロスマン「人生と運命」と森達也「自分の子どもが…」

2013.10.30.14:13

ゲシュケのフェイスブックに、Geschhhhkeeee!! と何度も叫んだけど、聞こえたか?と書いたら、ありがたいことに、「最終コーナーのところで君の声は聞こえた。日本最高。arigato!」という返事がもらえた。確かに最終コーナーの立ち上がって少しのところにいたから、これは僕だわ。まあ、そもそもゲシュケの名前を叫ぶような人が他にいるとは思えんし。しかし、これだけで、さいたまクリテに行った甲斐があったというものです 笑)

さて、

人生と運命 1人生と運命 1
(2012/01/17)
ワシーリー・グロスマン

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全三巻。四カ月近くかかって読み終えた。読みだすとしばらくはやめられなくなるんだけど、なにしろ長い。それとロシアの小説につきものの、父性で登場人物たちを呼ぶのに多少めげる。必ず登場人物表に付箋を貼ることと、主要登場人物の関係図を自分で作成することをお勧めする。以下、ネタバレです。

スターリングラードの独ソ戦が舞台。そして、スターリングラードに住んでいたユダヤ系の学者一家の運命と、それにかかわる人々の運命が描かれる。主人公の一人の科学者は逮捕される恐怖に怯えながら、直後にスターリンから直々の電話を受けて、名誉復権するとともに、これまで彼を裏でなじっていた連中が手のひらを返すように彼に近づくさまを目の当たりにする。しかし、その彼も無実の政治犯を処罰するよう求める科学者の署名にサインをして良心の呵責に苦しまなければならない。

ある古参のコミュニストはロシア革命以前から党のために身をなげうちながら拷問じみた尋問の末にラーゲリ(収容所)に送られる。そして、彼と離婚した女は、決まっていた別人との再婚を棒に振って、彼を追っていく。まるでラスコーリニコフを追っていくソーニャ・マルメラードワ。そして、スターリングラード戦で戦車部隊を率い、多大な貢献をした指揮官は、勝利に酔うその瞬間にフィアンセから別れの手紙を受け取る。

だけど主要な人々の運命だけではなく、このときの戦争を大局的に見た説明やファシズムや全体主義に関する歴史的考察、逆にドイツの兵隊(ウクライナ人の女と恋仲になる若い兵士や、降伏直前に地下壕でクリスマスツリーを飾ってクリスマスの歌を歌うドイツ兵たち!)、絶滅収容所の所長の「言い訳」の独白、絶滅収容所の看守の独白、ヒトラーやスターリンの思い、これから殺される母親の息子に与えた手紙、登場してすぐに死んでしまう人物の造形や心理まで事細かく描かれていて、まあ、時代遅れの言葉だけど、いわゆる「全体小説」っていう範疇に入るんだろう。月並みだけど、トルストイの「戦争と平和」を踏襲しているといってもよいかもしれない。

忘れられないエピソードはたくさんあるけど、見ず知らずの孤児を見捨てられず、自分が医者であることを言えば助かるのに、ガス室へ一緒に入る女医の最後のシーンを引用したい。

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ソフィヤ・オーシポヴナ・レヴィントンは、彼女の腕の中で少年の体がくずおれるのを感じた。彼女はふたたび彼から取り残されてしまった。(中略)「わたしは母親になったわ」ソフィヤはふと思った。それがソフィヤが最後に考えたことだった。だが、彼女の心臓にはまだ命があった。それは締め付けられ、痛み、あなた方を、生きているものたちと死んだものたちを哀れんでいた。吐き気がこみ上げてきた。ソフィヤ・オーシポヴナ・レヴィントンは人形となったダヴィドを抱きしめた。彼女は死んだ。死んで、人形になった。(第二部 371ページ)
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この時代のソ連の人々にとっては、前門のナチスヒトラー、後門のスターリン主義と、ひどい時代だった。ナチスもスターリニズムも、全体主義による社会制度が人々を無力にし従順にして、人間の心を麻痺させてしまう。

だけど、これはこの時代だけの特長ではない。さまざまなエピソードや作者による説明に、現代日本の状況まで連想させるような文言が溢れている。例えば、こんな文章を読んで、昨今の日本社会を連想しないだろうか?

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ときには、ともに戦闘へと向かうものたちが共通の敵以上にお互いを憎悪している。ときには、囚人間の憎悪のほうが、囚人の看守に対する憎悪よりも大きいことがある。(第二部、60ぺージ)
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だけど作者のグロスマンは、自身この小説の出版を差し止められ、原稿は廃棄されそうになるという目に合いながら、正義を振りかざしてそれらの悪を糾弾することはしない。人々を十把一絡げにしない。いや、ナチスとスターリニズムという全体主義のなかで翻弄されたからこそ、登場人物それぞれの個人を大切にしているのだろう。

ふと、最近読んだ森達也の「『自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか』と叫ぶ人に訊きたい」を思い出した。森の本は自分自身の確認と補強のために読んでいるようなもので、この本も最初から最後まで違和感なく読めた。

「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と叫ぶ人に訊きたい―――正義という共同幻想がもたらす本当の危機
(2013/08/23)
森 達也

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森は悪意のあるものがいるわけではなく、みんなが善意でありながら、その善意が一方向に加速して、集団になり、暴走してしまうと言う。これは森がこれまでも繰り返し言ってきたことで、森の著作を読んだ人なら誰でも印象に残る森の真骨頂だ。

今回、一番森らしさがでているのは、北朝鮮について危機意識を煽るメディアの比喩。

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オオカミが来たと何度も言い続けた羊飼いの少年は、いつのまにか本当にオオカミが来たと、自分でも思い込んでしまいました。だから必死です。村人たちも顔色を変えました。高価なオオカミ防衛システムを、村費で購入しました。でも安心できません。防衛だけではなくこちらから山に出向いてオオカミたちをやっつけるべきだと主張する村人が増えてきました。その情報はオオカミたちにも伝わります。攻撃されるのならその前に攻撃すべきだとの意見を言うオオカミが増えてきました。/こうして最悪の事態が起きる。さてここで問題です。いったい誰が悪いのでしょう。(358ページ)
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森達也はこの本の中で、何度か、「とても当たり前のことだと思う」と書く。ぼくももちろん「当たり前だ」と思う。その当たり前が当たり前でなくなっている今の社会には、彼のような人間がたくさん必要なのだろう。

善悪二元論に堕している昨今の日本のメディアの堕落ぶりも、結局視聴率という数字に踊らされながら、集団として暴走していると言えるんだろう。

そして、この「集団として暴走する」というのをキーワードに、グロスマンのこの大長編小説を、時間をかけて読んでみてください。

最後にもう一つ、グロスマンの小説とはあまり関係ないけど、メディア批判を含め、テーマも主張も、ほぼ森と同じ方向を向いていて、文章は「です・ます」調でありながら、森よりもシニカルなこちらもお勧めです。

ジェラシーが支配する国ジェラシーが支配する国
(2013/04/03)
小谷 敏

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アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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