この諏訪哲史という人は初めて読んだ。いやぁ、いろんな意味で際どい。内容が際どい。なんでもありの現代小説界なんだろうけど。。。特にバタイユのパロディのC神父の逸話は、まあ猥褻、かつ、お下劣。それにライトモチーフのように、様々なところで出てくるジンマシンでも引き起こしそうな、色々な ぶつぶつしたものたち が気持ちが悪い。文体も際どい。高踏的というべきか、漢語の選択もキッチュになりかねない際どさだと思う。出てくる海外の作家名も際どくて、ペダンチックっていう言葉がチラチラした。しかし、よもやハンス・ヘニー・ヤーンとかフーベルト・フィヒテなんかが出てくるとはね。ただ、この人、学生の頃から種村季弘に師事しているらしいので、あきらかに、そこからきたんだろう。そして巻末に謝辞が載っている谷川渥も、僕はこの人の本を読んだことはないけど、その影響は明らかだ。ほかにも、従来の小説という形式から外れようとする、自意識過剰なほどのこだわりも際どい。これまたメタ小説なんていうレッテルがチラチラした。小説という作り物がどうやれば現実と対置できるのか、っていうこだわりなんだろうと思うけど。。。
少年詩人アツシと編集者のイサキさんの関係は、本文中にも何回かその詩が出てくるアルチュール・ランボーとポール・ヴェルレーヌをなぞっている。二人が別れるときに怪我するのは、ランボーとヴェルレーヌの場合の逆で、イサキさんのほうなんていうのも意図的なんだろう。さらにアツシは最後イタリア半島を南下して、アフリカへ渡って行くであろうことすら暗示されている。ただ、個人的にはランボーだけではなく、この二人の関係は、たぶん種村季弘から聞いたであろうと想像できるハンス・ヘニー・ヤーンという作家の「岸辺なき流れ」にも触発されたんじゃないかと、ちょっと勘ぐってる。
誰にでもお勧めできる、とは、とても言えないけど、この人のほかのものも読んでみようと思う。

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