昨日、東京女子大で表題の講演と音楽会を聞いてきた。主にポーランドのユダヤ人たちはナチスドイツがポーランドを占領した後、ゲットーに押し込められた。そして、その後ユダヤ人たちはアウシュヴィッツをはじめとする絶滅収容所へ送られて殺されることになる。
ゲットーというのは、ポーランドのワルシャワやクラカフやウッジといった都市の一区画を隔離状態にしてユダヤ人の強制居住地にしたもので、食糧不足もあり、その環境は劣悪だったんだけど、ある意味では普通の街と同じような機能を持っていたんだそうだ。だからそこには当然劇場もあったし、キャバレー(いわゆる寄席)もあったし、街頭で歌う今で言うストリートミュージシャンみたいな人もいた。
1942年にベルリンのヴァンゼーで秘密会議が開かれ、東方ユダヤ人の絶滅計画が立てられる。その後、ゲットーのユダヤ人たちはアウシュヴィッツをはじめとする絶滅収容所へ送られていくことになるんだけど、驚くことに、この絶滅収容所にも囚人たちによる楽団があった。絶滅収容所内のコンサートのチケットなんかが残っているんだそうだ。むろんこの音楽は囚人たちのためというよりも、収容所のナチスの隊員たちのためのものだったんだけど。明日ガス室に送られるかもしれない囚人たちにとっては耳障りなだけだっただろうけど、ユダヤ人音楽家にとっては、生き残るための絶好の手段でもあったわけだ。
そういえば、むかし見た「ショアー」という無茶苦茶長いドキュメンタリーの冒頭にも、声が良く歌が上手かったから殺されなかったというポーランドのユダヤ人男性が出てきた。
そうしたゲットーや収容所で歌われていた歌を、採集復元して、ザルメン・ムロテックというニューヨークの国立イディッシュ劇場芸術監督が弾き語りで歌い、途中日フィルのコンマスのヴァイオリニストがチゴイネルワイゼンとバッハのシャコンヌを演奏した。ムロテックの弾き語りのイディッシュ語によるユダヤの音楽はなんとも哀愁を帯びたメロディーが印象に残った。
言うまでもなく、ゲットーに押し込められ、絶滅収容所のガス室で殺されたユダヤ人たちの運命を思うとき、それはもう言葉にできない沈痛な思いを感じる。だけど、いまのイスラエルのやり方を見ているとね。有名なフランクルの「夜と霧」に「良い人たちは誰も戻ってこなかった」っていう言葉があるけど、そんじゃあ、生き残った良くないユダヤ人たちが建国したのがイスラエルか、なんて言いたくなっちゃう。
一方で、ドイツへ旅行したことのある人なら、みんな感じるだろうけど、親切で公徳心の強いドイツ人たちが、ほんの70年前にはこんなひどいことをしたというのも、なんとも言えない驚きだ。
結局ユダヤ人だとかドイツ人だとかいう「国籍」や「人種」というレッテルなんて、無意味なものなんだ。
人間というのは、人種に関わりなく、ごく普通の人たちが、その時の社会の状況によって、とんでもない悲惨な被害者になったり、逆にとんでもない極悪非道な加害者になったりするってことだ。
こんなのあたりまえのことだけど、昨今の日本の社会を見ていると、そういう当たり前の事を理解してない人が増えているような気がしてならない。

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