ぼくは先にいまの東京でオリンピックを行うことに反対だと書いた。この考えは東京に決定後も変わらない。先に書いたように、オリンピックが現在の日本にとってプラスになることもたくさんあるだろう。だけど、それを勘案しても東京でやるのが良いとは思わない。オリンピックより前にやるべきことがあるだろう、というのが一番の理由だ。
ただし、決まった以上、反対と言い続けたところで意味はない。むしろ、これをきっかけに日本が良い方向へ向かうようになれば良いと思う。こう書くと、日和見主義だと怒る人もいるかもしれないけど、ぼくは日和見主義が否定的な用語だとは思わない。
日本が良い方向へ向かうように、と書いたが、これは抽象的すぎるだろう。憲法を改正して9条をなくし、国民主権を制限し、中国や韓国に好きなことを言わせない強い国が良い方向だと信じている人も、ぼくが想像する以上にいるらしい(しかもその多くの人達の言う強い国が対アメリカではないし、対欧米でもない、ただただ中国と韓国に対して強い、という点も、なんてバランスが悪いんだろうと思う)。むろんぼくの言う良い方向は、上の拙ブログ表題の下にあるエピグラムを読んでもらいたい。
残念なことに、現在の日本は外圧によってしか変わらないらしい。しかもその外圧は東の方からの圧力だ。中国や韓国が何か言っても、握り拳を振り上げて圧力には負けないと吠えながら、アメリカから言われたら無言で従う。慰安婦問題も麻生のナチス発言も、西欧が問題視したことで、やっと日本のマスコミが取り上げた。今の日本のマスコミの人権感覚はかなりおかしい。ネトウヨにこびるマスコミ、あるいはマスコミそのものがネトウヨを作り出したとも言えるのではないかとすら思える。
だから、安倍がプレゼンで言った汚染水は完全にコントロールしているなんていうウソ(東電自体がそれを肯定できない)は、国内向けだったらいくらでもウヤムヤにできるだろうけど、国際社会に向けて言ったわけだから、これは言った以上責任を持たざるをえないってことだ。これがウソだとばれたら西欧から叩かれる。
同様に、東北大震災の復興を五輪開催の大義名分にした以上、東京の建設建築ラッシュのおかげで東北の復興が後回しにされるようなことになってはいけない。フクシマの人たちや被災地の人達を勇気づけるなんていう言い方で具体的対策をウヤムヤにしてはいけない。
それともう一つ気になっているのは、昨今の気色の悪いナショナリズム、オリンピックで弾みがついて、さらにニッポンチャチャチャで、さらに過激になって憲法改悪まで突き進む可能性があるんじゃないか、と不安を感じさせる。
そういう過激なナショナリズムが増大したり、レイシストたちのヘイトスピーチやデモがさらに拡大するようなことになれば、もうあとは西欧やアメリカのマスコミに頼るしかないだろう。哀しいことだけど、今の日本の国内には、マスコミも含めてこうした勢力を阻止できる力はない。
いずれにしても、これからの7年、立派なホスト国として、日本はどうあるべきか。日本のマスコミは世界が注目しているということをしっかり意識してほしいと思う。
同時に、日本人もオリンピック、オリンピックと浮かれ踊りを踊っていてはいけない。TPPや消費税などのことも、浮かれて踊っている間にそっと決められてしまう、なんてことがないようにしなければいけないだろう。
それから、前に書いた1936年のナチスのオリンピックでも、このオリンピックが終わるまでは国内の人権問題や人種差別政策は一時期おとなしくなった。しかしその後はどんどん加速していったということを考えると、オリンピック後がどうなるかも不安である。この7年、日本はどんな方向へ向かうのだろう。オリンピックが終わるころ、日本はどんな国になっているのだろう。大きな不安を感じながらも、最初に書いたように、日本の社会が今より少しでも暮らしやすくなっているように願っている。

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