題名から僕がドーピングを容認しているように思う人もいるかもしれないので、先に書いておく。
僕はドーピングには絶対に反対である。
だけど、それは理屈ではなく、なんか感覚的なものである。ちょうど、「このまま行けば日本はとんでもない国になる」というのと同じような感覚だ。そんなの考えすぎだよ、という人にはこの感覚は理解してもらえないだろう。
それはこんな感覚。
ドーピングを放置したらどんどんエスカレートしていくだろう。そして能力向上薬の効能にだって限界があるとなれば、その次に待っているのは人体改造だろう。遺伝子レベルでのドーピングが始まるだろう。そうなればスポーツはロボットの闘いだ。そんなものを見て楽しいだろうか?
そんなはずあるものか、考えすぎだよ、って思う人もいると思う。上記の日本の現状に対する批判だって、多くの人がそう考えているんだろうと思う。否定ではなく、「そんなの考えすぎだよ」という無関心。まあ、全面否定するネトウヨさんもいるように、ドーピングのほうも容認する人もいるのかもしれないけど。
ただ、上記のような「感覚」(予感?)はともかく、前から、ドーピングを批判する「理屈」に説得力がいまひとつ感じられない。ヴィキペディアには哲学者の加藤尚武という人の説が引用されているけど、それをいくら読んでも僕にはどうもしっくりこない。このエントリーでは「感覚」ではなく、「理屈」にこだわってみたい。
まず、前提に、スポーツである以上、競技(試合)に参加する選手たちの目的は勝つことだ、というのがある。勝ちにこだわりすぎると勝利至上主義と言われて蔑まれるが、でもルールを犯さない限り、場合によっては審判に見つからない限り(サッカーを見てご覧よ)、勝つために競技(試合)に参加するわけだ。正々堂々と闘うという言葉もよく聞く。正々堂々という言葉は通常「真正面から」とか「策を弄さず」というニュアンスで使うと思うが、スポーツの世界で相手の裏をかいたり、弱点をつくのは当たり前の話だ。
自転車レースだって、逃げたのにツキイチで一度も前を引かなかった選手が、ゴールスプリントで優勝したら、キタナイと言われたって、勝ちは勝ち。失格にはならないし、優勝賞金を得るのも歴代優勝者のリストに名が残るのも勝った者だ。一般社会だったら(特に今の日本だったら)大バッシングで、優勝した選手は岩手の市議さんみたいに自殺するかもしれない(漫画みたいな話が現実に今の日本では起きている)。
つまり何が言いたいかというと、選手たちの勝ちたいと思う気持ちは純粋なもので、それはルールに則っている限り、あるいは審判が反則だと言わない限り、非難はできない。スポーツに日常生活上の道徳律を持ち込むのは間違いだ、ということだ。
まずこのことを前提にしておいて、さて、ではなぜドーピングをしてはいけないか? これに対する解答はおおむね次の二点ではないだろうか?
1)選手の健康を守るため。
2)薬を使う選手と使わない選手がいて不公平であるため。
1)については、そもそも薬以前に、競技スポーツというものが、すでに不健康なものである。スポーツには怪我がつきものだし、特に自転車ロードレースは疲労の限界を争うような面もある。ツールなど毎日150キロ以上を3週間、しかもその間に2000メートルを超える山をいくつも越えていくのである。一般人には絶対にできないことだし、超一流選手たちだって疲労の極致に達しているはずである。
自転車競技とドーピングの歴史を遡ってみれば、ドーピングは能力向上ではなく、疲労回復から始まったのである。選手でなくても、疲れれば栄養ドリンクを飲む人は多いだろう。自転車競技は最初のプロスポーツのひとつである。すでに20世紀になる前から、トップ選手たちは本業の片手間に自転車に乗っていたわけではない。片手間では練習の時間が取れない。彼らは自分の職業を放棄してロードやトラックのレースに出て賞金を稼いでいたのである。しかも他のプロスポーツに比べて自転車競技は過酷である。しかし、選手たちは生活がかかっている。疲れたからといって練習やレースを休むわけにはいかない。疲労回復のためにさまざまな薬が不可欠だったと思われる。中には覚醒剤のような禁止薬物も含まれていたから、これは選手でなくとも法律違反だし、健康に甚大な被害を与えかねないものだっただろう。この時点ではたしかに薬は選手の健康を損ねかねない。
時代下って、EPO(これは疲労回復ではなく能力向上の薬である)が出始めの頃(1980年代後半から90年代の初め)には、ベルギーとオランダで自転車選手の突発死が多発した。ほとんどが睡眠中に心臓が止まるというものだった。ところが、イタリアではそんな事故は全くなかった。イタリアにはEPOの専門家のコンコーニやフェラーリという「優秀な」医者がいたからだ。
すると、彼らのような「優秀な」医者の管理のもとで、健康に悪影響を及ぼさないように緻密に薬を使っていけば、選手の健康被害は防げるではないか。
この論理に対抗する理屈が、僕にはどうもあまりうまく思いつかない。
そもそも、薬というものは本来なんであれ、すべて毒なのだ、という意見がある。どんな薬にも必ず副作用があるというわけだ。この意見には個人的には心惹かれるのだが、しかし、僕らの日常生活の中では、ちょっと風邪を引いた、ちょっと消化不良だ、果てはちょっと飲み過ぎた、こんなことでもすぐに薬に頼るではないか。むろん、その薬を使わなければ大変なことになる、というケースもたくさんあるだろうとは思う。しかし、世の中、健康な人までみんな薬漬けである。本来食品から取るべき栄養素だってサプリメントと称して普通に飲んでいる。薬というのは本来、身体の具合が悪く、薬の持つ副作用を勘案しても、服用した方がよいという時にだけ使うべきものなのだ。しかし、一般社会がこんな薬漬けで、選手だけは薬が使えないのはおかしい、というのもある意味で正しいのではないか?
いや、医者がどれほど厳格に取り扱ったとしても副作用はあるし、それを過小評価してはいけないという意見もあるだろう。でも、実際に、ドーピングをしていた元選手たちが早死にだったり、後遺障害がでたりしているだろうか。
アームストロングの睾丸癌は若い頃からのドーピングの影響だという説がある。アンクティルやフィニョンも50そこそこで癌で亡くなっている。特にフィニョンは自分が癌であることを知ったときに、まず医者に聞いたのが、若い頃にやったドーピングの影響か、ということだったそうだ。医者はそれを言下に否定したという。ほかにも国家ぐるみのドーピングを行っていたとされる旧東ドイツの元選手たちが早死にしているという話は聞いたことがないし、仮に統計を取ったところでドーピングのせいであることを証明するのは不可能だろう。
繰り返すが、一般人だって不要な薬、治療目的以外の薬やサプリメントのたぐいを多量に使っているのだ。
2)については、倫理的な意味でのドーピング批判である。薬を使って勝とうとするなんてずるい、ということだが、では、みんなが薬を使えば不公平ではなくなり、ずるくなくなるのではないか?
プロなんだから何したって良いじゃないか、ルールさえ犯さなければ、薬だって良いことにしたらどうなんだ。こういう意見は結構根強くあるのではないだろうか。
しかし、ハミルトンの本を読むと、選手によってドーピングの薬に合う合わないというのもあるらしい。同じ薬を使っても、それによって同じ能力の向上が見込まれるわけではない。だから、みんなが薬を使ったとしても不公平は不公平なのだ。
不公平はスポーツの世界にはつきものだ。同じトレーニングをしたって同じように強くなるわけではない。150キロのボールは99.9999%以上の人が、どんな練習を積んでも投げられるようにはならない。
生まれついての素質があって、なおかつ厳しいトレーニングに適応できた選手がトップアスリートになれるのだとしたら、生まれついての薬に対する適応能力があり、なおかつ厳しいトレーニングにも適応できた選手がトップアスリートになってはいけないのか?
本来自分の体内にないものを外部から取り入れて疲労を回復させたり能力を上げたりするのは、スポーツ本来の目的(健全な肉体と健全な精神の育成)とは相容れないものだ。確かにその通りだが、トップ競技スポーツの世界はそんな理想論をせせらわらうだろう。莫大な金と名誉のかかる世界だし、場合によっては議員になって権力まで手にできるかもしれないのだ。すでに競技に参加する目的はスポーツ本来の目的からはかけ離れている。
いやいや、選手はルールを破ることなく競い合うのだ、ルールで禁止されているものを使うのは間違っている、というかもしれないが、ではそもそもなぜドーピングはルールで禁止されたのだろう? 選手の健康を損ねるからだとしたら、1)にもどり、「優れた」専門医が厳格に薬のコントロールをしたらどうなのかという話になり、堂々めぐりだ。不公平だからだというのであれば、上記のようにスポーツにおける公平ってなんなのか、ということにつながる。
結局ヨーロッパではドーピングを禁止する法律がある国もあるが、どうも各国によって差があるようだし、すべての国にあるわけではない。国によっては詐欺罪を適用するなんていうアクロバチックなことをしているところもあるようだ。
というわけで、長々と書いてきたけど、要するに一般的に言われているドーピング批判は、なんか今ひとつ説得力が感じられないような気がする。この項はきっとこの先も書き足したり、削除したりし続けると思うけど、今回はとりあえずこのあたりでやめておきます。疑問反論を含めて、ご意見をお聞かせいただければ嬉しいです。
続きは以下をどうぞ。
ドーピングななぜ駄目なのか? (その2) へドーピングはなぜ駄目なのか? (その3) へ
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