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スプレンドールのマイヨ

2013.07.28.00:51

1979年ですから、すでに35年も前のことですね。ベルギーにスプレンドールがメインスポンサーになったチームができました。スプレンドールとはどういう会社だったのか?これがよくわかりません。ただ、自転車がスプレンドールというロゴの自転車でしたので、自転車メーカーだったのかも? 実際、以前のエントリー「買い物用駅までロード」でも書いたように、私のア●ンダ製、偽スプレンドール号を見た市川選手が、あれ?このスプレンドール、ずいぶんきれいな作りだな、と行っていたぐらいなので、かなりがさつな作りだったのでしょう。

いずれにしても、このスプレンドールというチーム、サブスポンサーが毎年変わり、場合によってはスプレンドール自体がサブになったりしながら、1986年まで続きます。我が家には、このスプレンドールのチームマイヨが4種類あります。目印はすそのところの市松模様。

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これは1979年のマイヨですね。このチームではやっぱりショーン・ケリーでしょう。

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© 自転車競技マガジン1979年7月号より

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これは1983年のものです。1980年はスプレンドール・アドミラル、翌年からはヴィッケス・スプレンドール・ユーロップデコールとなって、スプレンドールはサブスポンサーになります。これは翌1982年も同じでヴィッケス・スプレンドール。ただ、マイヨ自体はほとんど同じだったようです。以前、もう3年ぐらい前でしょうか、ヤフオクでこのヴィッケス・スプレンドールのマイヨが出ているのを見たことがあります。むろん入札したんですが終了を確認せずに放置したため、他の方に落札されてしまいました。もし落札された方がこれを読んで、なおかつ、もしもう飽きてしまったら、少々穴が開いていても、汚れていてもかまいませんので、お譲り下さいませ。価格応相談。

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© MIROIR No.360
このマイヨは、わかるでしょうか?一番上の白地の部分にネームが入ってません。これは1984年の春の写真なので、この後にモンディアル・モケットというサブスポンサーがついて、ネームが入るはずなんですが、この時点ではまだ決まったいなかったのでしょうね。

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これは珍しいものです。頂き物ですが、クリケリオンが1984年の世界選手権で優勝した後のレプリカマイヨ(まさか本物ではないでしょう 笑)です。ただ、この翌年にはスプレンドールはサブスポンサーになり、ベルギーヒタチがメインスポンサーになるので、スプレンドールのネームのアルカンシェルは1984年の秋だけしか存在しませんでした。
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© MIROIR No.365
この写真がどのレースのものかはわからないのですが、パンツに小さくモンディアル・モケットと入っているので、マイヨは上の写真と同じスプレンドールのアルカンシェルのはずです。

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© MIROIR No.367
これは1985年のフレッシュ・ヴァロンヌの写真で、ここではすでにヒタチのネームになってますね。この1985年のヒタチ・スネール・スプレンドールのマイヨはこちら。

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© MIROIR No.373
これは1985年のツールでステージ3勝を挙げたルディ・マテイスですが、胸の黄色いラインが2本です。

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これは1986年。スプレンドールが最後にスポンサーになったヒタチ・マルク・スプレンドールのマイヨですね。これは当時日本にも輸入され、サイスポの広告で見て往復100キロ近く走って買いに行きました。

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© MIROIR No.385
これは宇都宮で世界チャンピオンになったルディ・ダーネンスです。ツールでステージ優勝した写真ですね。ほら、こちらは黄色い胸のラインが3本です。

この翌年になると、ヒタチ・マルク・ロッシンとなり、スプレンドールは以後レースシーンから姿を消してしまいます。同時に目印だった市松模様もこんな感じ。
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というわけで、いまからもう35年〜27年昔のマイヨの話でした。最後まで読んでくれる人はあまりいないでしょうけど、どうもありがとうございました。


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アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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