ほら、また知らない名前だよ。誰よ、小野誠治って? 小野伸二の間違いじゃないの?
以前書いたように、ぼくは青春時代のある一時期、ちっともうまくなれなかったにもかかわらず、卓球に夢中でした。このスポーツほど人気の振幅が大きなスポーツってあまりないですね。ぼくがやっていた頃は別に特別人気があったわけではないし、かといって、不人気なスポーツでもなかったと思うんですよね。でもその後、タモリのネクラという言葉が流行るとともに、もっともネクラなスポーツとして一気に人気が低落しました。1980年代前半頃でしたかね?ちょうどぼくが卓球をやめたころでした。その後、サンマのTVで有名になるまだ未就学児童だったアイちゃんも、そうしたネクラなスポーツなのに、という前提の中で、かわいい女の子として有名になったのでした。そのアイちゃんが成長して、中学生ぐらいはまだネクラなスポーツの冗談みたいな、ちょっとおふざけレベルが抜けきらなかったのですが、徐々にアイちゃんから福原愛になって、全日本レベルになって、世界レベルになって、同時に男子のクラスも強い選手がずいぶん出てきて、今や人気スポーツの一つですよね。
このシリーズは実は年代順に書いていこうと思っていたんですけどやめます。次回は5年ほどさかのぼる予定。
さて、そんな卓球人気の紆余曲折以前の1979年、石の上にも三年じゃなくて、石の上にも9年目でしたかね、ひょんなことから、ぼくは練馬区のママさん卓球チームのコーチをすることになりました。いや、コーチをできるほど強くなかったんですよ。ただ、頼まれて、最初は断ったんですが、さすがに9年もやればラリーぐらいは初心者のおばちゃんたちよりはうまいだろうと説得されてね。それにコーチの謝礼が当時のアルバイトとしては破格でしたから、ま、金に目がくらんだ、っていうほどの大金ではなかったが。。。
この年、世界選手権がピョンヤンでありました。ピョンヤンってどこ?北朝鮮ですよ、北朝鮮。朝鮮民主主義人民共和国。当時はまだ拉致事件なんて誰も知らなかったし、大韓航空機事件もなかった。だから、在日の知り合いでもいない限り、あまり印象のない国だったと思うんですよね。この時はアメリカの選手団も参加したんですよ。今では信じられない話です。考えてみれば、79年ってモスクワオリンピックの前の年なんですね。まだスポーツと政治の関わり合いがそれほど語られることもなかったのどかな時代だったのですね。
小野誠治は当時まだ大学生でした。その前の77年の大会では河野満という選手が世界チャンピオンになっていて、卓球日本の伝統を守ったと言われていたのでした。ただ、それもじり貧状態で、この年は中国が盤石で強い選手が何人もいたんですよね。小野はまったくノーマークの世界選手権初出場の選手で、日本国内でもタイトルは取っていなかったと思います。ツボにはまれば手がつけられないが、荒っぽいという印象の選手でした。それが、あれよあれよという間に勝ち上がって、準々決勝、準決勝と中国人選手を破って決勝へ進んだのでした。特に準決勝の相手は変幻自在の魔術師のような選手で、小野のような猪突猛進型の選手が勝てるはずがないと思われる相手でしたね。
さて、決勝の相手は優勝候補筆頭の中国の郭燿華(漢字が違うかもしれません。カク・ヤッカとかカク・ヨウカと当時言ってましたが、中国語読みではきっと違う読み方だったのでしょう)。小柄の筋肉ムキムキの選手でした。対する小野は左利き、長身のやせっぽちで、顔も八の字眉毛の頼りない顔した選手でした。
この決勝戦はNHKで放送されましたが、実況ではなかったと思います。そもそも、北朝鮮に日本のカメラが入るのが初めてとのことで、そちらが強調された番組作りだったように記憶しています。決勝のカメラアングルもかなり遠くの、しかも斜め横からのアングルで、通常の卓球の放送とはずいぶん違うイメージでしたね。おそらくぼくは小野が世界チャンピオンになったことを新聞などで知った上で、この録画中継を見ていたのだろうと思います。そのあたりの記憶は完全にないですけど。
試合前は郭選手が圧勝するのではという下馬評だったはずですが、いざ試合が始まってみると、小野選手のバックのショートが一世一代の馬鹿あたりで、郭選手の強烈なドライブをことごとく止めて逆に振り回します。そんなこんなで当時はまだ1セット21点制でしたが、20-20のジュースになるんですね。
場内はあたりまえですが、満員の観客はみな郭選手を応援しています。小野が得点すると露骨なぐらいため息がきこえ、郭選手が得点すると割れんばかりの拍手(だったと思う (^。^))。日本は米帝国主義の手先だと言うわけですし、朝鮮戦争では中国軍が北を支援しましたから当たり前と言えば当たり前。
ジュースが続き、23-23ぐらいでしたか、ものすごいラリーが続いたんですね。記憶の中では30往復ぐらいしたんじゃないかって言うような長いラリーでした。観客は郭選手が強打するのに合わせてワッと声を上げます。ラリーが続くうちに、郭選手だけではなく小野が打つときにも歓声が上がり始めます。押されていた小野が形勢逆転、チャンスボールをスマッシュ!ところがボールはネットに当たってアウト。
その瞬間北朝鮮の観客の多くが、あきらかにラリーが途切れてがっかりした声を挙げたのでした。郭選手のポイントになったのですから会場が割れんばかりの大歓声になってもおかしくなかったのに、そうではなかった。あーっ、というラリーの潰えたことにたいする、何とも言えない不思議なため息のざわめきがあがり、その後、ものすごい拍手が起こりました。これは郭選手の得点に対する拍手では決してなく、すばらしいラリーを展開してスポーツを見る醍醐味を味わわせてくれた二人の選手に対する感謝の気持ちの表れだった、そうぼくは理解しました。
この心に残るスポーツシーンのシリーズを書こうと思ったとき、最初に思いついたのが、このシーンでした。このとき、ぼくは確かに、スポーツというものの持つ「積極的な」意味を、おそらく初めて感じたのでした。
2010,5/31 追記。
最初は小野誠二と書いていたのですが、どうも間違えていました。小野誠治でした。訂正します。
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