未婚の母の父が誰かの詮索に血道を上げ、少数者や外国人いじめでストレス発散し、実際の生活が楽になったという実感もないにもかかわらず、株を持っている者だけが得する株価とやらに一喜一憂し、マスコミははなから与党の圧勝と喧伝して、原発、憲法、TPP、消費税といった、僕らに直接関わるはずの選挙の争点ぼかし、しかも国民も何が何やらわからないままに、それにまんまと乗っている、完全に想像力が枯渇した低劣なさもしい国ニッポンですが、地球の裏側ピレネーでは、美しい自転車競技が今日もまた行われています 笑)
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コルシカの後、3度の集団スプリントでステージ優勝を狙ったが、どれもすべて計画通りにはいかなかった。マルセイユへのステージではマルセル・キッテルがゴール前15キロで落車し、最後の勝負に加われなかった。
そこでジョン・デーゲンコルプが突破口を開こうとした。しかしまともなトレインも作れないまま、位置取りにも完全に失敗し、12位に終わった。
次のステージはずっと横風がひどく、非常にナーバスなステージになった。最終的には足は疲れていなかったんだけど、ポジション争いに汲々として精神的には非常に疲れた。最後のスプリントのお膳立ては、ロットにはまったくかなわなかった。ロットは完璧なお膳立てでドイツチャンピオンのアンドレ・グライペルをお手本通りに優勝へ導いた。マルセルは3位だった。
今日は3番目のチャンスだった。ところがキャノンデールがステージ中程の第2カテゴリーの山岳でアタックして集団を驚かせた。そのときまでに、ぼくは逃げたイエンス・フォイクトたちをコントロールするために集団牽引役をこなしていた。このキャノンデールのアタックについて行けたのは100人ぐらいだった。ぼくは遅れたマルセルについて、最初はわずかだった前の集団との差を縮めようとした。あとから、アンドレ・グライペルのロットとマーク・カヴェンディッシュのオメガファーマも追走に加わった。この連合軍も追いつくことはできなかった。そして追走をやめた。だけど、僕らにとっては、これもまだそれほど悪いことではなかった。ジョン・デーゲンコルプがアシスト二人とまだ前にいたからだ。そして彼は2位になった。
これで僕らのチームは表彰台順位に3回入れた。優勝はできなくても、これは充分満足できるものだよ。今は、次のスプリントのステージまで、週末にまず二つのピレネーのハードなステージを乗り越えなければならない。明日は強豪選手が逃げて優勝するだろうね。この数日、ぼくは風よけとしてずいぶん働いたから、自分の力をセーブしながら走らなくてはね。
すでにここ何日かは気温も上昇している。週末にはもっと暑くなるらしい。ピレネーの直射日光を覚悟しておこう。
じゃあね、
ヨハネス
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某政党のポスターに安定は安心(だったかな?)というのがあった。ナチスドイツの時代は政治は安定していたよ。一党独裁だったからね。オール与党。権力者がそんな国にしたいと願うのは勝手だけど、一般の人々がそんな国になりたいと思うのかね?
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