ネイティブ・アメリカンの言葉だけど、7代先の子孫のことを考えて事をなせ、というような言葉があったと思う。1代って30年ぐらいって言うから、200年ぐらい先のことになるのかな。
そのころ世界はどうなっているんだろう?原発が日本中で、あるいは世界中で「安全に」稼働して、使用済み燃料なんか完璧に保管できるようになり、社会は限りない経済成長を続けている、なんて信じられる? 経済の成長っていったって、限りがあるのは当然だろう。すでに各国内での経済成長は頭打ちだから、外国へ、まだ発展途上の国へ、っていう発想なんだろうけど、それじゃあ、それらの「遅れた」国々が成長したらどうするのだろう?
たとえば、いまの日本では金さえ払えば何でも手に入るけど、じゃあ、みんながどうしても欲しいという物があるんだろうか? なんでも手に入るようになったときには欲しいものがなくなっていた、なんて、孝行したいときには親はなし、みたいな話だ。でも、この先、「遅れている」国々も同じように何でも手に入るようになり、同じように欲しいものがなくなったら、経済成長ってどうなるんだろうか?
グローバル化などと言われているが、誰だって世界を相手に商売できるわけではないし、みんながそうしたグローバル化を目指す企業の一員になれるわけでもない。ましてや、それによって格差が広がり、弱肉強食の競争社会になることが大多数の人々に幸福をもたらすはずはない。多くの人が言うように、今後はグローバル化ではなくローカル化へ舵を切っていくんじゃないだろうか? それぞれの地域で食べ物だけでなくエネルギーも地産地消が当然のことになっていくんじゃないだろうか?
そう考えると、原発はもちろんのこと、TPPも目先の経済成長しか見えない人達の最後の悪あがきに思えてしかたがない。
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