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http://www.johannes-froehlinger.de/index.php?id=286&tx_ttnews%5Btt_news%5D=395&cHash=447db188fc67169719c1b21f731f230a昨日のヴェークマンもヘルメットと帽子のひさしが凍りついていて凄かったけど、こちらはデーゲンコルプと一緒です。肩や胸に氷の板がへばりついてます。フレーリンガーの顔が泣きそうです。
続々とフォローしている各サイトでミラノ〜サンレモのブログがアップされています。
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今年のプリマヴェーラは歴史の本に載り、参加した選手はみんなこの日のことを忘れないだろう。
ティレノ〜アドリアティコのあと、ぼくらはビッグクラシックのために最高の準備をした。ぼくらは最後のコースを改めて確認するためにサンレモ近郊の海辺のホテルに宿泊した。
ここ数日、天気予報が挨拶代わりで、残念ながらレース当日その予報が確認された。僕らがミラノを出発したときはまだ許せる範囲だったんだ。霧雨と気温4℃。ところが雨はどんどん強くなり、ついには無線で117キロ地点でレースは中断されるという知らせが入った。トゥルキノ峠が雪だったんだ。選手たちはみんな、当然のことだけど、主催者に文句を言っていたけど、ぼくはあのレースに関しては条件付きでみんなと同調したい。いずれにしてもまだタイミング良く状況を考えてくれたし、117キロ地点にすべてのチームバスが集まるようにしてくれたんだ。スタート地点は海岸沿いに移動することも、すでに朝のウチから想定していたのかもしれない【このレースは、ミラノからトゥルキノ峠を越えて海辺へ出て、そこからサンレモまで海岸沿いを走るんですね】。ともかくレースが中断されるまで何キロかをびっしりと雪が降る中を走ったんだ。まったく尋常じゃないし、健康を危険にさらす気象条件だった。選手はみんな、そもそもこんなところで自転車に乗って何をすれば良いんだって考えたはずだよ。バスの中で熱いシャワーとお茶を飲んでやっと体が暖まった。びっしりと雪で覆われた山をバスで通過した。できたてパスタとエスプレッソをダブルで飲んで、新しい乾いたマイヨを着て、2時間休んだ後、海岸でレースは改めてスタートになった。そこも同じように土砂降りだった。でも気温は5℃と、まあ常識的な気象条件だった。きつい登りのラ・マニエもカットされたから、ゴールまではだいたい130キロになった。
チーム内のモチベーションは確かにこのとんでもない条件下でもうまくいっていた。お互いに意識を高め合って、できる限りキャプテンのジョン・デーゲンコルプをアシストしようとした。ジーモン・ゲシュケとぼくが彼の最後のアシストになった。でも二人とも、最後から二番目のチプレッサまでしかメイングループにいられなかった。ジョンは最後は一人だけで自力勝負して、タフなレースをやり遂げた。でも去年は5位だったけど、残念ながら今年は18位止まりだった。
僕の昔のチームメイトのゲラルト・ツィオレクが勝ったのはとても嬉しかった。このヒロイックなレースの様々な条件が彼の勝利の価値をさらに高めるね。
ぼくは自転車の上ですでになんどかかなりひどい目に遭ってきた。でもこのミラノ〜サンレモは僕のキャリアでも最もハードなレースのひとつだね。この後何日間かは特別に長めの休暇を予定している。できれば次のコルシカであるクリテリウム・アンテルナショナルでは冬がどっかへ行ってしまってくれるといいけど。
ヨハネス
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