うーん、
大島渚のエントリーに複数回コメントを書いてくれたネトウヨさん(と認定します 笑)はその後やっぱり来ませんね。IPアドレス検索というFC2の機能で見ると、コメントを書いてくれる前数週間は拙ブログを頻繁に覗いてくれていたようで、自転車ファンかな、と思っていたんですが、結局書きっぱなしのただのネトウヨだったようです。なんかやっぱりかあ、という残念な気持ちもあります。ぼくの最後から二つ目の反論を見て、その後は一度も来てくれないですね。まだまだ言いたいことがあったんですが、また何かの機会に書くことにしましょう。
というわけで、少し前に書いたチッポリーニのドーピング疑惑のニュース。以下はいつものようにドイツの radsportnews.com (rsn)を元にしています。ガゼッタ・デル・スポルトの詳細な報告と資料公表にもかかわらず、チッポリーニは弁護士を通じて反論してますね。すでにアンチ・ドーピング機関に協力してDNAのサンプルを提出して無罪を証明する準備があるとのこと。
これに対して、ガゼッタもさらに疑惑を追加してます。2001年にフエンテス医師と接触後は2004年まで、定期的にかなりの量のドーピングを繰り返し、2003年の前半は血液ドーピングだけでも25回、それと共に成長ホルモンの処方を繰り返し受けていると書いているそうです。そしてそうした計画表の一枚のウラにはチッポリーニの自宅のファックス番号が書かれているそうです。チッポリーニの弁護士は、この時期チッポはモナコに住んでいたから、この番号ではつながらないと苦しい反論。しかし、ガゼッタの記者が当時この番号でチッポリーニと連絡を取っていたと再反論。こりゃあかなり苦しいね。
イタリアオリンピック委員会はこれを受けて、チッポリーニの捜査を始めるようです。
いや、ツァーベルも告白したし、アブドゥジャパロフは興奮剤の陽性で引退に追い込まれたし、あの時代、というよりも、自転車競技は当初からドーピングが蔓延していたわけです。だけど組織的にやるためには金が必要だったわけで、バッソはフエンテス裁判の証人として、2006年に94000ドル(日本円にして900万ぐらい?)支払う契約だったと言っています。プロ選手なら誰でも払える額ではないと思いますよ。ましてや、ドーピングを告白したイェルク・ヤクシェが言うところでは、フエンテスは血液ドーピングに際して、こちらの健康など一顧だにしなかったそうですからね。ある意味、病気になったり死ぬ可能性だってあったかもしれません。
みんな薬まみれだったんだから、いいじゃん、という人もいるかもしれませんが、そういうわけにはいかないでしょう。やっていなかった選手もいたはずだから、というだけではなく、ドーピングの組織性の濃淡があるはずだからでもあります。そしてこれは前から書いてきたけど、EPO以前と以後ではドーピングが結果に及ぼす影響力はずいぶんと違ったのだろうと思います。さらにそれを組織的にできるか、できないか、は結果に大きな影響を与えただろうと推測できます。
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