8月から生活保護の基準額が引き下げられることが決まったそうだ。いいのかね、どこへ行く、日本?というわけで、図書館で目について借りてみた。というか、図書館で三分の一ぐらい読んじゃったんだけどね。
昨今の生活保護に対するバッシングが、いかに意図的な悪意のあるものかがよくわかる。少し前のお笑い芸人の母親の件もそうだったが、新聞の投書欄などでも、自分は一生懸命に働いているのに遊んで暮らしているという論調で、生活保護受給者を非難する投書を見かける。それらの意見がいかに実態を知らずに言われていることかが、この本を読むとよく分かる。
これまでにも拙ブログでは何度か書いてきたけど、生活保護の不正受給率って1%(人で2%以下、額で0.4%)前後なのだ。99%が正統な給付って、他のたとえば議員に払われている金や公共事業に対する予算の99%が正統な使われ方をしているのか?震災復興予算はどうなの?これを考えれば、不正受給者の問題など取るに足らない話だ。
まあ、この0.4%は嘘だといっている人もネットにはいるけど、じゃあ、仮にこれが10倍の4%でもいいよ。震災復興予算一つ取ったって、96%が正統に使われているか?そのチマチマした数字の問題じゃないんだよね。その不正受給のパターンだって、世間で言われているのとはまったく逆の意味で不正とされてしまったケースが、この本には具体的にいくつか述べられている。そもそも不正受給ってどうして発生するかと言えば、行政職員の怠慢によるものが多いわけだ。しかし職員だって数が限られているから、当然のように責めるわけにはいかないだろう。
問題は不正受給よりも、生活保護をもらえる人が申請できずに餓死したり自殺している(実際にここ数年、毎年餓死者の数は30数人〜60数人。経済・生活的自殺者数は6000〜8000人)ことのほうだろう。それに、これは驚いたのだけど、最低賃金と生活保護の対比がずいぶん話題になったが、最低賃金が生活保護で保障される額より低い場合は、その差額分を生活保護申請できるのだそうだ。
つまり、本当にそういう人がどのぐらいいたのか知らないが、俺が一生懸命働いてもらっている額より、なにもしないで生活保護をもらっている奴のほうが金をもらっているのは許せない、と思ってバッシングに加わった人がいるなら、これは見事に生活保護を初めとする社会保障費を、自己責任という言葉の元に削減したがっている権力者たちの思うつぼにはまったわけだ。実際はそういう人は、そうか、俺にも生活保護申請の権利があるのだ、と考えなくてはいけなかったはずなんだよ。(むろん貯金とか様々な要件があるから、そう単純ではないけど)
そして生活保護をもらえるのにもらっていない人の割合は70%近いそうだ。そもそも自治体によって対応がひどく差があるらしいし、役所の窓口で体よくあしらわれて追い返されるケースも多いだろう。その結果として餓死した人もたくさんいるんだよ。
また、今回の騒動で、片山某なんていう議員が率先して生活保護を受けることは恥なのだと言い、マスコミもその論調を煽った。しかし、現在のヨーロッパでは、いや、それどころか韓国でも、この最後のセーフティーネットを利用することにたいして、いかに国民が恥の意識を持たないようにさせるかということで努力している。国が国民を守るのは当たり前だからだ。
あまりにみんな実態を知らないのだ。知らせないマスコミの責任も大きい。生活保護っていくらもらっているのかだって知らないよね。僕もこの本を読むまで知らなかった。拙ブログを読んで下さる人は、生活保護なんて自分には関係ないや、と言う人が多いだろうけど、前にも書いたように、国の哲学の問題だとおもうんだ。
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