どうなんでしょう?僕の世代だと同じような記憶のある人多いのでは? 僕は小学校3年の3学期に、千葉県千葉市立登戸(のぶと)小学校から、東京都練馬区立北町西小学校へ転校していて、それが子供の頃の記憶の基準点になっているんですよね。たとえば、目もあいていないような子猫を拾ってきて、親にむちゃくちゃしかられて泣きながら捨てに戻ったのは、あの転校する前のことだったから、小学校2年生の時のことだ、なんてね。
東京オリンピックがあったのは転校前の小学校3年生の時。そして当時の小学校ではテレビ教室というのがあって、クラスごとに順番にオリンピックのいろんな種目を見たのでした。たしか、そういうシステムだったと思います。僕のクラスがたまたまマラソンに当たったのか、それとも学年全体で見たのか、それははっきり覚えていません。ただ、テレビつきの教室は学校全体でも一つか二つしかなかったと記憶しているので、前者だったのではないかなぁ?
覚えているのはただ、競技場に入って、円谷がヒートリーに抜かれるシーン。シーンそのものを覚えているのか、と問われると、はなはだ曖昧ですが、クラス中が悲鳴を挙げたという記憶ははっきり残っています。あれは本当にあのときの僕の体験なのか、それとも後から市川崑の「東京オリンピック」で見て、あとづけの記憶なのか。。。
ただ、どちらにしても、僕がスポーツというものを見て熱くなった生涯最初の記憶です。
円谷は「国家を背負」わされて、結果的に自殺しなければならなかったわけですが、その後、高校生ぐらいの頃だったかなぁ、深夜放送で、何という題名だったか、この円谷をテーマにした歌が流れて、泣きそうになりました。歌の最初に競技場に入った円谷がヒートリーに抜かれる実況放送が流れて、それから女性二人(だったと思う)の歌が始まり、確か歌詞が「もう走れない」っていうような歌詞で終わったんですよね。
知っている人がいれば教えてください。ネットで検索するとわかるのかも知れないけど、なんとなくそんな手段で知りたくない、知っている人がいれば教えてもらいたい、その時の気持ちを共有したいっていう気分です。どなたかご存じないですか?
自転車に限らず、これまで54年生きてきた間に見て感動したスポーツシーンについても、ときどき思い出したように書いてみようと思っています。
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