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1990年、市川ジロ初出場

2013.01.04.00:01



1990年と言ったら大昔ですかね? 宇都宮で世界選手権があった年。そして市川選手がジロ・デ・イタリアに日本人として初参戦し、一時期は総合30位代、最終的には50位で完走した年です。

市川というと、スカパーの解説で辛辣なおじさんというイメージがあるかもしれないけど、ヨーロッパのレースで6勝って言うのは現時点では日本人では他に誰もいません。現時点では最初にして最高の日本人プロロードレーサーと言っていいでしょう。

90年、当時は情報がまったく入ってこなくて、一緒に練習していたサイスポ関係者の知り合いなどから途中の情報を聞いたものでした。市川はいま総合38位だよ、と言われて吃驚した記憶があります。結局一つのステージで下痢に苦しんでタイムアウト寸前でゴールして、一気に順位を下げちゃったんですが、それでも50位って、やっぱすごくない?

この年のジロはプロローグでブーニョが優勝してマリア・ローザを着たら、もうそのまま最後まで着通したパーフェクト優勝だったんですが、それよりもやっぱり市川ですね。

というわけで、今回は知り合いから送られた当時の新聞のコピーをご紹介しましょう。市川がジロに参加している最中のスイスの新聞です。冒頭、黒澤明の新作「夢」の話が出てきて、時代を感じさせます。

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市川雅敏は日本のパイオニア

市川の「夢」はすでに実現

「夢」は日本の映画監督黒沢明の最新作で、巨匠はこの映画で自分の最も大切な夢8編をフィルムに収め、いわば「現実化」している。しかし、彼より50歳も若い同国人の市川雅敏は巨匠に少しだけ先行している。つまり、彼はちょうど10年で、プロになるという夢を実現し、ジロに参戦した最初の日本人になった。

まず、深いお辞儀で特筆されるこの国日本ではロード競技は日陰者だ。「毎年わたしの国ではだいたい7つのレースが行われます」と市川は説明してくれた、「そしてその水準はそれ相応に低レベルです。」

競輪、ノーサンキュー
しかし、ハードな競輪競技がある程度のポピュラリティを得ている国で、どうして16歳の市川はロード競技に打ち込むことになったのだろう?「テレビのスポーツ放送でツール・ド・フランスが扱われたとき、初めてロードレースの映像を見ました」とスイスのフランス語圏モティエに住む市川は言う、「そのとき、いつか自転車ロード競技のプロになると決めたのです。」

レース用自転車とはすぐに触れることになった。大学に入学して自転車チームに加わったのである。日本では中野浩一がスプリントで10回世界チャンピオンになっているにも関わらず、彼はトラックにほとんど関心を持たなかった。「トラック競技は好きではありません」と市川ははっきり言っている。

アルテンラインで世界戦が行われたとき、エリートアマチュア市川は22歳で観客席にいた。そのとき、彼は故国のレースでも優勝したことがあり、1980年には日本選手権で3位になったことがあった。このときアルテンラインで接触したコネクションを、彼は後にうまく利用し、ヨーロッパにとどまる。最初はイタリアで、次いでスイスとドイツで運を求め、当時のマヴィックチームの監督ジャン=ジャック・ループと接触する。

日本の最初の自転車プロ
1987年、つまりツール・ド・フランスの放送からちょうど10年で、市川はクロード・クリケリオンをエースとするベルギーのヒタチチームと契約する。日本人最初のロード競技のプロになった。

このときから彼は故国では少なくともパイオニアの役割を担うことになった。しかし、ポピュラリティという点では以前と変わらないままだった。日本人は野球とゴルフにしか興味がないのだ。

3年後、小柄だが強靱な市川はさらに新たなものを求めていく。彼は二つのプロとしての勝利を収めた。まずシェレンベルク一周と少し後ではシエール~ロイエ山岳レースだ。この成果が彼の故国での最初の成果をもたらした。つまり、この春、イタリアで日本のプロチームが発足しそうになったのだ。しかし、残念ながら結果的に、ライセンスの問題で潰えてしまった。

フランク・チームではノープロブレム
彼の二つの勝利と長年にわたるコネクションのおかげで、この山岳スペシャリストは、今シーズンフランク・モンテ・タマロチームで走ることになった。「確かに、『マサ』獲得の理由はスポンサーの問題だ」とチーム監督のロベルト・タールマンは言う、「しかし、彼の最近のシーズンの結果が決定要素の一番だ。ツール・ド・ロマンディのクイーンステージで強かったことがジロのメンバーに選んだ理由だ。」

市川自身は自らのジロ参加にも浮き足立つところはない。「ここで失う物は何もないし、きついプロフィールはむしろ自分に向いていると思う。」少なくともヴェスヴィオ山を前にして、故国の富士山を前にしたときほどの脅威を感じなかったようだ。つまり、市川はこのステージで優勝したエドゥアルト・チョーザスにたいして2分しか遅れなかったのである。そして「大物選手」のうちの何人もが彼より後ろでゴールしているのである。
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この新聞の日付は5月21日月曜日。最後に出てくるヴェスヴィオ山をゴールとする上りゴールのステージの翌日です。ですから、この記事はその結果を踏まえてすぐに出たものです。このステージは第2ステージで、市川はエースのダニエル・シュタイガーをアシストして20位前後でゴールしているようです。シュタイガーはこのステージで6位でした。その後このエースがリタイアして、市川がフランク・チームのエースに昇格したのでした。

また、途中に出てくるアルテンラインの世界選手権は、レモンが独走ぶっちぎりで優勝した83年のものですね。アルジェンティンとスペイン人と三人で逃げたもんだから、イタリアチームが完全に集団コントロールしてしまって、そしたらなんとアルジェンティンがパンクで遅れて、慌てて追ったときにはもう時既に遅し。スペイン人も最後の登りで遅れてレモンが2位に1分ぐらい差をつけたんじゃなかったかと思います。

この記事の最初の写真も、でっかいメーターがついていて、ヘッドもいまとは違うし、何よりブランカーレのカスクですよ。でもちょっとサイズ的に大きすぎない?


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comment

Arturo
了解しました。
  (とは、僕にしては短いコメント!?UCIについて意見が一致したのが嬉しい!?でもね、全部暴露されて、「なるほど、これなら、ランスは一回も」ドーピングチェック引っかからない訳だ。こりゃあ、当たり前だ!」みたいな顛末を期待している者としては尚更!?)
 I川先生については私通メール待っています。
2013.01.18 10:00
アンコウ
Arturoさん、

アームストロング事件は、まあ、しばらくは拙ブログではあまり扱うつもりはありませんねぇ。一般ニュースまで取り上げてますからね。ただね、この問題、アームストロング個人の問題にしてはいけないと思ってます。なぜ、ドーピングはいけないかっていう根拠が今ひとつ薄弱な気がしているので、ドーピングについてはまだまだ言いたいことはあるけれどね。UCIの件はぼくもまったく同意見です。
2013.01.18 07:03
Arturo
了解しました。
  前回の投稿の反省から、チッポリーニの登場顛末に至る部分も、私通メールにて、(ようやく?!)コメントしました。
  しかし話題振り変えで、ランスの件、結局、どうやら、「悪うございました。」をやったようですね。
  これは、USAで当該番組の放送後にでも、アンコウ様も単独コーナーを起こして、扱って貰える!?。
  個人的には、かかる上は司法取引がどうこう、、、と言う事みたいですが、ドーピングもみ消し疑惑も含めて、先に書いた、”カネで、どうにでもなる”組織、UCIの各種顛末が暴露されればいいなあ~等と勝手に思っております。
当該番組の放送は日本時間の明日!?

2013.01.17 16:24
アンコウ
Arturoさん、

だから私信でってばあ。

ちなみに、市川選手とチッポリーニを比べることになんか意味あるんですか?とここでは一言だけ。
2013.01.09 21:59
Arturo
了解しました。  
  只。I川先生に関してはともかく、50位か150位についての件は、読み返して誤解を招く感じもしたので、少し補足しておきます。
  この世界では、ただ走って、50位に終わるのも150位に終わっても、その価値に変わりはない、と言う事になりますが、実際ただ走って、、、という事は考えにくいですが、(やれ、アシストをしてるだろう、とか、、、それがタイムに上乗せになっているだろう、とか、、、。)しかし原則はそうでしょう。
  例えば、端的な例で行くなら、エースとして、チームを背負って走り、結果、150位で終わったとしても(このままではもう、まるで無価値)、代わりに、区間スプリントをX勝上げた選手がいれば、前述の50位よりはるかに価値は高い。と言う事になります。先のジロに置き換えるなら、少なくとも、50何位でゴールしたI川先生よ9り、150何位で、ゴールしたチッポリーニの方が、この場合、逆転現象で10倍以上価値がある、と言えば多少は補足になるでしょうか?。さらに言うなら、50位とかで走っている選手が、総合の数字、タイム差を意識して走ってんの?とも言えるのでは?とも言いたかった訳です。チッポリーニが総合の順位を意識しているとは到底思えない!?。
  補足になったかなあ、、、
2013.01.09 21:36
アンコウ
Arturo さん、

この話は私信で。笑)
2013.01.09 20:46
Arturo
出ちゃいましたね。I川選手のストーリー。それもよりによって、あの90年のジロ、、、。
  高田馬場も含めて、アンコウ様には、直接話した記憶もあるし、何より、あのジロ、マニフレックス側から派遣されていた(チームの2番監督だった。つまりは二台目のサポートカーを運転していた、Tと言う)人物の話等話、そして目の前で展開していた光景等、この辺の話しちゃうといよいよ、アンコウ様の感情逆なでは必至だから今回はコメントそのものには登場しない事にします。

  ただね、唯一、この世界では50位も150位も、その価値に何ら差がない。というセリフは、もう余りにも普遍的な意見として、浸透しているとだけは申し上げておきたいですけど。(仮に日本の愛好家の間では見方に相違があったとしても、、、。)
 「順位に価値があるのは、賞金なり、UCIのポイントなりが出るところまで、それ以下は全く価値に違いはない。何故なら、これはプロスポーツだからだ、、、。勿論、スポンサーもそんな数字には関心ない。何故ならCM効果は見込めないからだ。」と。恐らく現場で走っている選手の99%の概念の代弁だと思っています。
 でも、忘れた頃のコメントですが、しかしヤンのマイヨー、想定よりも安かったです。いつか投稿した、流体力学代表の方のコメントの質以上!?(笑)
2013.01.09 20:16
こばやし
佐藤さんも、円谷さんもロードをやりたかったんだよね。特に佐藤さんはボスコに入ったからね。でも2人とも日大だからうまく行かなくて、可哀想だったなぁ。佐藤さんは滝川さんと山梨だね。実は私が唯一写真を飾っているのは佐藤さんのものなんだよ。意外かな?

ドーピングは良い悪いは別として、トレーニングの効果を最大限に活かそうとすると避けては通れないんじゃないかな。食べるもの、飲むもの、休息、どれもが大事で、トーレーニングの効率を含めた全てが大事になってくるから。いまはドーピングも単純じゃないから、素人はなかなか口を出せないけど、金も絡んで来る問題だからどうしたもんかね。まあ、この話しは止めておこう。
2013.01.09 17:16
アンコウ
そうそう、大宮選手。佐藤稔(としみ)選手も懐かしい名前だね。ぼくが草レースに初めて出たころの国際ロードだったかなぁ?ゴール直前で落車してズタボロになって5位(?)でゴールしたんじゃなかった? ニューサイで記事とインタビューを読んだ記憶がある。大学卒業後に自転車やめて山梨かどこかの擁護学校の教員になったんじゃない??

ソウルオリンピックの代表選考会で優勝したのが円谷だった?あれ?鈴木だったっけ?

スイスの世界戦の情報は、ひょっとしたらドイツ語の世界戦の本からの情報かもしれない。

東独は前年のベルント・ドローガン、83年のラープ、その後アンプラーが勝って、ソウルではルートヴィヒ、とまあ、強かったね。死んでしまった名コーチのリントナーの本によると、ドローガンの時代には背中に無線機つけてアンテナのばして心拍数を追走車の中で読み上げて書き取っていたというからね。ただねぇ。科学的トレーニングの行きつく先がドーピングになってしまうのは、ちょっと悲しいけどねぇ。。。
2013.01.09 14:23
こばやし
おはよう。
東京オリンピックの選手は、私も名前をど忘れ。大宮政志さん?プレオリンピックでいい成績だったから期待されていたけど、ちょっと判断は難しいね。円谷はいろいろプレッシャーがあったけど、本人はロードでやりたかったんだよね。佐藤稔も同様にじゃまされちゃったけど。

で、円谷だけど強かったね。スプリントよし、スピード良し、スタミナよしだったからね。修善寺の全日本でスプリントで三浦を下したり、琵琶湖のほうで行われた国際ロードでも表彰台に乗ったし。市川が登りなら円谷はワンディで活躍できた可能性もあったと思う。意外だけどちょっとインターバルの回復が遅いタイプだったらしいよ。ポイントや速度競争の走り方をみていると、確かにそう感じることもあるけど。

スイスの世界選の情報はイタリアのものなのかな?フランスの新聞だと違うと思う。私は一番きつい上りで見ていたけど(ここは下の平地部分の動きも見えて良かった)、上りでのイタリアは勝負所で生彩なかったなぁ。でもバロンケリが前半でいきなり5分以上も遅れて登って来たのに、次の周には集団にいてびっくらこいたよ。いまなら驚かないけど、初めての生レースだったからね。

アマチュアはラーブね、そうそう。強かったなぁ。あの頃は東ドイツ強かったねぇ。すでにパワーメーターや心拍計を使ったトレーニングをしていたらしいね。また長くなっちゃった(^^;
2013.01.09 09:43
アンコウ
こばやしさん、

あけましておめでとう、まあ、なにがめでたいんや?って気もしているんだけどね 笑)

83年に見に行ってるんだ!! いいなぁ。。ぼくがロードに興味を持ったのはその翌年だよ。83年は CYPRESS さんから借りたビデオで見た。どこかで読んだのでは、アルジェンティンがスプリントがあることはイタリアチーム内でも知られていたから、レモンと一緒に逃げたとき、イタリアチームは集団を引こうとしなかったという話だった。最後はクリケリオンがアタックして、それに乗ったヴァン・デル・プールとロッシュが2位3位。アタックしたクリケリオンは4位で翌年に捲土重来でした。

アマチュアはウーヴェ・ラープの独走だね。アマチュアって独走逃げ切りが多いね。宇都宮もそうだったし。

歴代ナンバーワン、円谷なんてどう? まあ、比べるのも愚かだけどね。東京オリンピックで先頭集団で走りきって、競輪選手になった人も強かったと言われているけど。(名前失念)
2013.01.09 08:23
こばやし
83年は私が初めて世界選手権を観に行った年で、プロはレモン、バンデプール、ロッシュでしたね。2位がちょっと記憶にないんだけど、スペインだったかも。アマの記憶がないんだよなぁ。2位にルッティマンってのは覚えているんだけど。2度目の世界選は少しあいちゃって89年のシャンベリー。このときもレモンが勝って、コニチェフ、ケリーだったな。3位はどっちもアイルランドだ。

しかし83年のプロはイタリア勢は上りで全滅した感じだったけど、違うのかな?いまはビデオがあるんだろうね。アルゼンチンだけは走れていたけど、確かあのときはネオプロじゃなかった?サンガレンとシャンベリーはどちらも世界選では屈指の難コースで、シャンベリーのときは「サンガレン以来の難コース」といわれていたよ。

市川はシャンベリーでは「表彰台を狙う」って言ってたなぁ。あのコースならその可能性はあったかもしれないけど、周回コースの世界選ではそこまで甘くないと思うね。本人はそのくらいの気持ちで行くってことだったと思うけど。実際、最後の2〜3周で集団が小さくなるときに、上りで余裕を持って前に上がって行ったから、2度の落車は残念だった。ロマンディでもトップ10くらいのグループで上っているから、ほんとに強かったと思う。あと4年早くスイスに行けていればなぁ。

歴代で一番強かったのは誰だろう?総合力では三浦だろうな。続くのは阿部かな。結果でいえばフミや新城が上だけど、時代が違うから比較はできないね。懐かしい話題でつい長くなってしまいました。
2013.01.08 23:32
アンコウ
クランク山さん、

こんにちは、市川さんは歯に衣着せぬ人だから、まあ、いろいろ言う人もいるかもしれませんけど、でも登りだけでなく、個人追い抜きでもかなりのタイムを出していたんですよね。それなりの独走力もあったわけで、やっぱり現時点では日本最強選手だったと思います。あの当時スカパーがあれば、盛り上がったでしょうね。
2013.01.04 23:16
クランク山
個人的には市川雅敏と沖美穂をレジェンド(伝説の人)と呼んでいます。
新城幸也は市川さんの足元に手がかかったし別府史之や萩原麻由子にもチャンスはあるので、2人のレジェンドを目標に結果を得られる2013年である事を願っています。
2013.01.04 10:06

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

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