1980/81年の16歳のアカサカ・マリと2010/11年の45歳のマリが入れ替わったり、母になったり、意識は45歳のまま16歳に戻ったり、目覚めたまま夢を見たり、意識が時空を越えていったり、別人になったり、それも、天皇になったり、なんとも忙しい。なんか筒井康隆にこんな小説がなかったっけ??
16歳でアメリカへ留学中に「天皇の戦争責任」のディベートをさせられ、失敗して日本へ帰ってきたことが心の傷になり、45歳になってそのやり直しを企てるが、ディベートではなく東京裁判のやり直しになり、主人公は天皇の役を受け持つとともに天皇の意識を感じる。(こうやって書くと、スラップスティックなギャグみたいだけど、いたってまじめ。むしろシリアス。でも、スラップスティックにしちゃったほうがおもしろかったかも、なんて思えてきました。2012,11/16, 09:10記)
最初のほうの子鹿の耳とか、母が東京裁判の時の翻訳者だったとか、へんな伏線がいろいろあるようだけど、最後まで行く間にちょっと拡散してしまったような感じ。
昭和天皇の戦争責任、まあ、昭和の時代に公人として責任があると言ったらピストルで撃たれたりしたんだけど、普通に考えりゃあ、ないわけないよね。敗戦時に天皇が東京裁判で裁かれるべきだったかは分からないけど、少なくとも天皇は責任を取って自ら蟄居するぐらいのことはすべきだったんだと思う。一番てっぺんが責任を取らなかったことにホッとした連中がたくさんいたはずだ。天皇が責任を取らないんだから、俺に責任なんかない、と考えた責任者がたくさんいたはずだ。そうした連中はシメシメとばかりに戦後になって議員になったり回顧録を書いたりして、部下達の死の責任などどこ吹く風だったわけだ。そういう奴らが山ほどいて、みんな天寿を全うしたわけ。戦争で死んだ人達はホントの意味で犬死にだよね。
だから、昭和天皇がせめて責任を取って隠居していてくれれば、現在にまでつながる戦後の日本の無責任体質は、少しは変わっていたんじゃないか、なんて考えてみたりする。
さて、この小説では、天皇は日本人の魂をうけとめる器だとされる。だから、武士達の時代から、権力者の都合の良いように、いわば権威づけのために使われてきた。担ぎ上げられたわけである。そして、上で僕が言ったような責任を取らなかったことに対して、あるいは、天皇の名によって行われた日本軍の犯罪的行為に対して、こう言う。「たとえ困難でも、泣きたくても逃げ出したくても、肉体を持ってある位置に生まれついた以上、全うすべきことがある」
なるほどね、この文脈で見れば、昭和天皇は あえて 困難な道を選び、「子供たちの非道を詫びるように、私は詫びねばならない」と言って外的な責任は取らなかったというわけだ。戦争で死んだものたち、犬死にしたものたちの魂の受け皿、器としての役割を担うというわけなのかな。ただね。それをうまく利用した連中がたくさんいたんだよね。天皇個人のことを考えると、この考え方の道筋はちょっと魅力がないことはない。でもね、なんていうのかなぁ、それによって日本の無責任体質が始まったと思うとね。
いずれにしても、天皇なんてお気の毒な方々で、ぼくは今上天皇には好印象(あくまで好印象程度)をもっているけど、本人はきっとご自分の立場を辛いものだと思っているに違いないと思うな。
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