シネフィル・イマジカでかなり前に撮っておいた奴。やっと見た。というのは、これまで2度ほど最初から15分ぐらい見たんだけど、最後まで見切れないままだった。序盤がつまらないというわけではないし、よくあるように登場人物が誰が誰だか分からない、というわけでもない。でも、なんとなく、なかなか映画に入っていけなかった。だから、「やっと」見たっていうわけ。しかし、なんてラストだ! ファシストと共和派がにらみ合っていた1930年代後半のスペインの話。共和派のやさしい老教師と少年の交流が最後に一転して悲劇的な結末になる。最後は内乱が始まり、共和派の老教師は捕まるか殺されるんだろうとは予想
はついていた。そのとき少年や同じく共和派の少年の父親がどうなるんだろうと思ったが、見方が甘かった。こういう結末にするとは思わなかった。
この悲劇性は戦争による悲劇を真っ正面から描くのではない。たとえばワイダの「灰とダイヤモンド」は、ポーランド解放後の暗殺者マチェックの悲劇だ。ある意味でその悲劇性は直球でズドンとくる。
でも、ここでは連行されていく老教師の悲劇がテーマではなく、「転んだ」者たちの悲劇、残った者たちの悲劇だ。あの少年の姿と最後の叫び声に胸がつぶれる思いがするけど、それ以上に、ぼくは父親の最後の顔、ぐしゃぐしゃに泣きながら罵声を浴びせるあの顔が忘れられない。いうまでもなく、あの罵声は自分に対する罵声だ。子供がいて、家族がいて、あの父親には、他にどうすることができたんだろう?
老教師の顔、どこかで見たことあるな、と思ったら、なんのことはない、「ミツバチのささやき」のお父さんじゃないの。そういえば、スペイン映画って、ぼくの印象に残っている奴はどれも子役が凄いです。古くはマルセリーノ坊やの「汚れなき悪戯」なんてのもありましたっけ。もっとも、これは映画そのものよりテーマ音楽が有名なんだろうけど。
「ミツバチのささやき」についても一言。ネット検索すると、この映画がわけが分からないと言ってけなす人もいるみたいですけど、テーマは死を子供の視点から見るっていうことだと思います。自分が子供のときに、死というものをどんな風にイメージしたか、っていうことを思い出してみれば、この映画にはいろんな暗示がたくさんあることに気づくのではないかと思います。子供の頃に、夜中に死というものを考えて、眠れなくなったなんていう経験は誰でもあるでしょう。でも、主人公のアナはそういう怖いという気持ちを感じる前の年齢なんですね。そんなようなことを、昔アマゾンレビュに、例によってカッタルコフスキーの名前で書いたことがあり、どうなってるかと思ったらまだ残ってました。お暇でしたら、みてみてみてね。
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