おぞましい話である。現在のアメリカ社会が、不平等で差別的で、機会均等性がいかに最低レベルであるかが、つぎつぎと述べられている。そしてそれを別に悪いことだとも思わず、法の裏をかくような、いや、法すらも丸め込んでいくようなやり方で金儲けに血道をあげる最富裕層1%の人々のやり方。
倫理的な面での批判なんて、こういう守銭奴達にとっては痛くもかゆくもないんだろう。キリスト教的な倫理観からすれば、「金持ちが天国の門をくぐるのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」はずなのに。
「『勝負は問題ではない。重要なのはどうプレーするかだ』という昔の金言をたわごとと切り捨て」、勝つか負けるかのみにしか関心がない、なんていう話を読むと、昨今のスポーツの世界とまったく同じだと思える。昔はグッドルーザーが持てたはずなんだけど、勝ちゃあいいんだという風潮が蔓延して、何をやっても勝てば良いっていうふうになっていく。
かつて最下位球団のリリーフエースと4番をFAで獲得したことのあるどこぞの球団は、こんどは優勝チームのエースと準エースと最下位球団の4番を獲得して優勝したけどね。それによってプロ野球が魅力あるものになっただろうか?この球団のファンもこんな勝ち方で満足なんだろうか?いや、それはFAや大リーグ帰りばかりかき集めるぼくのひいきチームにも言えるんだけどね 苦笑)
いや、自転車の話をしよう。89年のツールでは、マリーが逃げ集団に混じりながら、チーム戦略で一度も前を引かずにゴールまで来たら、スプリントにはまったく参加せず集団内の最下位でゴールしたことがあった。でも、今はそういう潔さはなかなか見られない。汚いと言われようが、チームとして勝てば良いっていう感じがする。
今年のリンブルフクラシックなんかその典型だ。結局、勝ちゃあいいっていう価値観の行きつく果てがドーピングなんだろう。
スポーツの話はともかく、いずれにしても、いまのNo田政権も、そしてこの後政権につくとか言われている自民党も、みんなこぞってアメリカ様の言いなりになろうとしているわけだけど、日本がアメリカみたいになったら大変なことになる。ただでさえ差別的なことがまかり通り、機会均等性、つまりスタートラインの不公平が当然と見なされているような国だ。日本なんてアメリカから見たら植民地扱いされることまちがいなし(沖縄なんかすでにそういう扱いをされている)。
同時に、ここに書かれていることは今回の原発事件から分かってきた東電を巡る政府の対応もトレースする。こんな文章はそのまま単語を入れ替えれば、日本のことだろう。
アメリカ政府は、大銀行が引き起こした不況のせいで失業した人々を支援することより、大規模な銀行救済策を通じて経営陣のボーナスを維持することに多くの資金を注ぎ込んだ。(131ページ)
アメリカ政府を日本政府に、大銀行を東電に、不況を原発事故に、失業を避難にかえれば、そのままだ。
この本で最後に言われている具体的な細かい解決策がそのまま日本でも通用するものなのかどうかは、ぼくにはとてもわからない。ただ、方向性はこの向きなんだろうと確信を持つことができる。ただ、そのためにはどうすればいいのかねぇ。
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