
チェコから来た古いアームチェアをオランダで修理に出したら、ハーケンクロイツの印が押された書類が出てきた。それを手掛かりに、その時代背景とともに関係者も含めて、持ち主の人生を探るドキュメンタリー。
書類の持ち主は署名からローベルト・グリージンガーというSSの将校で、博士号を持った法務官であることがわかる。いわゆるナチのエリート知識人部隊の一員だ。
SSというと、誤解を恐れずに言えば、格好良い(以前どっかのアイドルグループがそれに似せた服を着て、海外からも批判されたことがあった)黒い制服を着て、髑髏のついた帽子を斜に被っているという印象だけど、

こんな感じ
この本の主役のグリージンガーは「一般SS」というやつで、独ソ戦が始まった頃にはロシアにも出征しているが、その後、プラハに赴任して普通の背広を着てお役所業務に励んでいた。無論その業務によって運命を変えられたチェコ人たちがたくさんいたわけだが。
椅子から出てきた書類はパスポートから公務員試験合格証明書まで、この男の存在を証明するはずの貴重な書類ばかり。パスポートにはハンサムな男の写真が貼られている。著者はこの男の一家を探しだし、各地の図書館や公文書館で資料を漁り、この男と家族の人生を追いかける。同時に、戦前のドイツの南西部の雰囲気や戦後の生き残ったドイツ人たちのナチスに対する複雑な反応も描く。
個人的には、ドイツの大学、太宰治の短編小説に「アルト・ハイデルベルヒ」という題名のものがあったけど、まさにそのアルト・ハイデルベルクの雰囲気がある、古き良き時代のドイツの大学が、実は学生にも教師にも積極的なナチズム信奉者が多く、特にプロテスタントの上流中産階級出身者はナチズムと親和性が強かったというのはちょっとショックだった。
「のちに言われるように、大学は一握りのナチ狂信者に乗っ取られて学問の独立性を失ったわけではなかった」(p.194)
当時の多くのドイツ人たちはナチスの党員になれば出世しやすいし、いろんな面で優遇される可能性が高くなるという実利的な面に目が眩んで党員になったのだと思いたいところだが、実際はこの主役のグリージンガーも含めて、すでにそれ以前から人種差別的、優生思想的な考え方に慣れていたと言える。
そして言うまでもないことだけど、彼らが家庭では良き父親で夫で、母親から見れば大切な息子、仲間たちの間では愉快な楽しいやつで、上司からは「優秀で誠実な職員」だと評価され、休みの時には「レコードプレーヤーでクラシック音楽を聴きながら」(p.251)くつろぐ、普通の人間なのである。映画や漫画で描かれるサディスティックなサイコパスなどでは決してない。
結局、拙ブログのモットーの漱石の言葉「悪い人間など世の中にいない、平生はみんな善人だが、いざというまぎわに、急に悪人に変わる」につながるとも言えるが、それ以前にもう一つ、時代の雰囲気、空気というものが人を作ることも忘れてはならないと思う。
1920年代から30年代にかけて、ドイツの大学や中産階級には、人種差別や優生思想的な空気が醸成されていたのだ。そういう空気の中で育った若者は、戦争という「いざというまぎわに」、とんでもないことを一斉にしかねないということだ。
その意味では、すでに今の日本にも優勢思想的なことをTVで堂々と述べるような学者がもてはやされ、困っている人を自己責任と称して切り捨てる安倍的社会になってるのが恐ろしい。
本に戻ると、なぜ椅子に書類を隠したのかとか、ロシアで何をしたのかなど、さまざまな謎が見事にスパッと解決し、うぉ〜っとはならない。ミステリー小説ではないので当たり前だ。だけど、それぞれの人に、それぞれの人生があり、その経験の全てが次の世代に伝わるのではなく、むしろそのほとんどが忘却の彼方に消えていくのだ、という無常感の余韻が、これまた誤解を恐れず言えば、心地よい。
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