どうも歳のせいか、ぎっくり腰の状態が今ひとつ良くなっていきません。かれこれ1週間になるんですがねぇ。というわけで、1日数時間は横になっているので、その間に読んだ本です。

「特攻」については最初の頃からよく書いてきた。拙ブログを始めてすぐに
西川吉光という人の「特攻と日本人の戦争」という本を結構詳しく紹介しているので始まって、最近でも
川端康成と「特攻」の本を紹介した。
死んだ若者たちのことを考えたり、遺書を読んだりすれば、彼らがあまりにかわいそうで、美化して上げなくては、という気持ちになるのは、人間として当たり前の心情だろうと思う。だけど、その一方で、では彼らに「特攻」を強いた上官たちはどうしたのかを一緒に考えないと、「特攻」については絶対危ない方へ向かうというのは当初からの直感としてあった。これは今ではネトウヨ作家に成り下がってしまった作者の
「永遠の0」について書いた時にも言ったことだ。
戦果からみれば、この本の中である生徒が言ったように、特攻は「何の意味もない国のプライドとかいうための犬死作戦」(p.138)だったとも言える。こう書くと、反発する人も多いだろう。でもこの点を忘れて、単に美化して感謝して、とやったら、この国はまた同じことを繰り返すだろうと思う。
なによりも、戦後もおめおめと生き続けた特攻を命じた者たちが「特攻」を美化することに熱心だったことからも、彼らのベクトルが自己保身に向かっていることは明らかなのである。特攻隊員はお国のために自ら志願して勇ましく死んだ、その「真実」を身近で見ていた自分が後世に伝えなくてはならない、というのが、彼らに「志願しろ」という無言の命令を与えて、「決しておまえたちだけを死なせない。最後の一機で必ず私はおまえたちの後を追う」(p.49)と言いながら、戦後もおめおめと天寿をまっとうした奴らのやり方だった。
この本に出てくる大西道大が戦後になって特攻隊員の遺族に会いにいった時のエピソードなど、本当にはらわた煮え繰り返る思いしか湧かない。
「元司令官は仏壇に手を合わせた後(中略)『どうしてこのように小さいお子様がいて、なぜご主人は特攻に行ったのでしょう』と言った。【未亡人は】一瞬、大きく「あなたさまは。。。。」と声を荒げ、あとは押し黙った。」(50)
ナチスドイツはユダヤ人たちを組織的かつ大規模に、効率的に殺害したとよく言われる。しかし日本軍は
「若者の侠気と、それに甘える老人の卑しさ」(古処誠二)にたよって、部下が必ず死ぬ戦法を組織的かつ大規模に取ったのである。
この本の最後の方で、若い社会科教員たちが「戦争」のテーマを授業で避けようとする傾向があるとして、彼らが、「『戦争』を『不快』なものととらえ、『戦争』に結びつく反省や謝罪、責任というものを考えなくていいように、『戦争』そのものを教材として『除去してしまいたい』と考えているような気がしてならない」(154)と書いているが、これは教員だけの問題でもないんだろうと思う。そして、『戦争』を『政治』に変えても同じようなことが言えるのかもしれないと思う。
『政治』を『不快』なものととらえ、『政治』に結びつくものを考えなくていいように、『政治』そのものを(頭の中から)『除去してしまいたい』と考えているような気がしてならない。
追記(2/5 15:35)
所々変換ミスなど変更しました。ご指摘ありがとうございました。
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