先日エフェネプールが大差の独走勝ちした世界選の時に、戦後一番の大差はアドルニだと書いた ばかりでした。
クリスマスイヴの日に亡くなったそうです。85歳。1968年の世界チャンピオンで、他にも65年のジロでも総合優勝しています。
ほぼ10分の大差をつけた68年の世界選手権は YouTube にあります。画像はまあ、当時のものですから 笑)
VIDEO ちょっと我が家にあった本を2冊引っ張り出して調べてみました。
(参考文献 Walter Rottiers: Die großen Radsport-Stars, München,1991、Helmer Boelsen: Die Geschichte der Rad-Weltmeisterschaft, Bielefeld, 2007)
この世界選はイタリアのイモラサーキットとその周辺の周回コースを18周、277Km で行われ、難度としてはフツーの世界選コースだったようです。
レースは4周目からの8人の逃げにアドルニと、2回世界チャンピオンになっているリック2世こと、リック・ファン・ローイが混じり、8週目からは4人に、そして13週目にはファン・ローイら残っていた選手たちもチギレて、残りの5週80キロ近くをアドルニが独走で、最終的に戦後最大、世界選史上では1928年のジョルジェ・ロンセの17分33秒に次ぐ大差で優勝ということになりました。
今の感覚からすると、後ろの追走集団は何していたんだ? ということになりますが、これには当時のレース界の事情が大きな影響を与えたようです。
レース前日の夜、ジャク・アンクティルらベテラン選手の何人かがホテルで対メルクス包囲網を敷くことを提唱したと言われています。
メルクスはこの時まだ23歳ですが、すでに前年に世界チャンピオンになっていて、このシーズンもジロ・ディ・イタリアとパリ〜ルーベをはじめ、すでに32勝していました。だから、後ろではメルクスマークで牽制しあって、追走の協力体制が取れなかったというのと、イタリアチームが完全に抑えに入ったのが、この大差の最大の原因ですね。逃げにはベルギーのファン・ローイが入っていたわけですが、この大ベテランが日の出の勢いの若造メルクスのために走るはずはなく、最終的な結果を見ると2位のヘルマン・ファンスプリンゲル以外は6位までイタリア人が占めています。メルクスは8位止まり。イタリアチームの総合的な強さが際立っていますね。
ではアドルニはイタリア期待の選手だったかというと、これがまたかなりビミョー。イタリアチームでの期待度はフェリッチェ・ジモンディ、ジャンニ・モッタ、ミケーレ・ダンチェッリ、フランコ・ビトッシの順番で、そもそも、アドルニは68年シーズンが始まる前にテレビのスポーツバラエティショーでコメンテーターとして出演するようになって、チームとも揉めて罰金まで払わされ、世界選のメンバーに選ばれたのも最後の最後だったようです。
アドルニは自転車競技を始めたのが19歳とかなり遅かったようですが、アマチュアとして22歳の時にローマオリンピックの団体追い抜きの補欠選手になり、翌年からプロになって、33歳で引退しています。生涯勝利数は40とありますね。ステージレースの総合が6つ、個人TTが6つ含まれ、3大ツール全てでステージ優勝しています。
引退後もUCIの運営に関わり、現在のワールド・ツアーシステムの構築に貢献したとのことです。 rip.
追記(12/31、23:28 イタリアチームが後ろで押さえに回ったというところを追記しました)
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