今年はツールですね。最後の最後まで、よもやの山岳賞ジャージを着続け、最後の最後にヴィンゲゴールに持っていかれたにも関わらず、ヴィンゲゴールがマイヨ・ジョーヌを着たため、パリまで2位のゲシュケが着続けることになり、一躍悲劇のヒーロー扱いでした 笑) でもおかげでドイツのベストサイクリスト・オブ・ザ・イヤーと、出身地ベルリンのスポーツマン・オブ・ザ・イヤーに選ばれましたからね。
ゲシュケの話。「ツールでは最終的に山岳賞ジャージを守れなかったけど、みんなから覚えてもらえて本当に嬉しいよ。もちろん最後のピレネーのステージに後悔がないわけじゃない。今になってみればもう少し違うことができたけど、ちょっとナーバスになってた。でもそれって、後にならなきゃわからないことだからね。」
ただ、ツールで忘れられがちですが、4月末のツール・ド・ロマンディでは最後の山岳TTで2位になって、総合3位。
ゲシュケの話。「ワールドツアーのステージレースで表彰台になんて滅多に上がれないからね。もちろんこれはすごいことだったよ。でも、ロマンディーではたった2日間で総合順位が決まっちゃったからね、なにか別物だったよね。そうはいっても、このレースの結果はとても誇らしいよ。」
過去ワールドツアーのステージレースでゲシュケが表彰台に上がったのは、20年のダウン・アンダーでの3位だけですからね。しかもTTで2位というのも驚きでした。
ただ、1月末のマヨルカチャレンジの後にまたまたコロナに感染して、復帰後もパリ〜ニースは第6ステージで体調不良によりリタイアでした。
ゲシュケの話。「でも比較的早く復帰できたんだよ。全体的に僕は冬をうまく過ごせたからね、バスク一周からロマンディまではとても調子が良かった。バスクはアシストとして走り、ロマンディもそのはずだったんだ。でもチームのエース役のイオン・イサギレが第1ステージで落車リタイアしたので、僕が代わりのエースになったわけ。」
5月は休暇をとってシュヴァルツヴァルトでマウンテンに乗り、その後高地トレーニングでツールに備えました。
ゲシュケの話。「マウンテンでのトレーニングはほぼ毎年やってる。地元フライブルク近郊ではマウンテンにもってこいなんだ。その後にいつも長期の高地トレーニングに行くから、その前に楽しもうという算段だよ。」
ドゥフィネで調子を整え、冒頭のように、ツールでうまくいったんですが、そのあとはあまりパッとしませんでした。
ゲシュケの話。「シーズン後半は満足いくものではなかったけど、でもロマンディーとツールのおかげで良いシーズンだったと総括できるかな。ツールがハードだったから、そのあとがうまくいかなかったけど、それは織り込み済みだったし、チームも理解してくれた。でも個人的にはドイツツールでもっと良い結果を出したかったから、その点がちょっと忸怩たる思いかな。ツールのあとあまりしっかり休めないまま、ドイツツールに向けてトレーニングしたんだけど、かえってそれが良くなかったんだね。」
来シーズンはまだどのレースに出るかははっきりしていないそうですが、スタートはヨーロッパになりそうだとのこと。またツールに参加するのが大きな目標になりますが、本人はジロにも出たいと言っているようで、「ひょっとしたら、ジロとツールに両方出るかもしれない」と言っています。
とりあえず、チームとは2024年末までの契約を結んでいますが、そこで引退だろうと言ってますね。
ゲシュケの話。「2024年にまたすごく調子が良くて結果が出れば、もしかしたら引退はもう1年延ばして2025年も走るかもしれないけど、でも、2024年でおしまいにする可能性は95%だね。」
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