
グロースシャルトナー、顔の上半分は柔和な感じなんですけど、ヨーロッパ人には珍しい八重歯なんですよね。顔の上半分を隠してみると、薄い口髭との組み合わせで吸血鬼めいたイメージになります 笑)
しかし、この人も今シーズンはプロ入り後最悪のシーズンだったんじゃないでしょうか。なにしろコロナと骨折でズタボロでした。オーストリア選手権でロードとTTの両方のチャンピオンになり
http://tatsuya1956.blog48.fc2.com/blog-entry-4360.html、ツール・ド・スイスでも総合7位に入ってるんですが、そして成績一覧を見ると、ツールも含めていろんなステージレースでトップ10に何回か入っているんですが、いいところなかったシーズンだったという印象です。
昨シーズン終了後に踵を骨折し、クリスマスにはコロナにかかって、完全に冬を失敗した点では、先のシャハマンと似ています。プロとしてのトレーニングは1月になってようやく再開、調子も上がってパリ~ニスに参戦すると、第1ステージを100キロもいかないところで落車し、鎖骨骨折。
「プロになってから、これほど成績が悪かったのは初めてだと思う。病気と怪我でこんなに不運なシーズンは、いずれにしても初めてだよ。辛かったし、馬鹿げた気分だった。でもこういうシーズンもあるさ。忘れるしかないね。」
それでも1ヶ月後にはバスク一周に出て調子を整え、続くツール・ド・ロマンディーではトップ10が3回と調子が上がってきました。つづくツール・ド・スイスでもトップ10が3回、総合でも7位になり、ツールのメンバーにも選ばれました。
「ツール・ド・ロマンディとスイスは今シーズンの白眉だった。調子は良かったんだけど、山岳ステージの調子は足りなかった。表彰台に上れたはずなんだけどね。」
調子が上がってのツール出場でしたが、ここでも最初の方で体調を崩してしまいました。
「最初の休息日の二日前に体調が悪くなり、ツールが終わった後は本当にスイッチが切れてしまった。何日か熱が続いてね。僕の周りはコロナにかかったやつが多かったけど、僕は違っていた。僕だけ普通に感染症になったんだ。ツールの最中も、確かに14ステージでは7位になったけど、調子は良くなかったんだ。
秋になってもどうも自分の調子が上がらなかった。トレーニングでもある日はうまくいっても、次の日はまたまるでダメだったりね。」
秋はドイツツールやツアー・オブ・ブリテン、イタリアのクラシックなどに参加したけど、まるでパッとしませんでした。そんなこともあって、ボーラを出てUAEへの移籍を決断したようです。
「僕は新しい環境でもう一度自分の力を証明しなければならない。これは僕の成長にとって良いことだと思うよ。UAEでもチャンスを掴みたいけど、大きなレースでは僕の役割はアシストになるね。でもそれは僕に合っているかもしれない。僕は良いレースをすればトップ10、あるいはトップ5まではいけるかもしれないけど、でも優勝となるとちょっと無理だよね。
来シーズンの目標はもちろんツールに出ること。UAEには強い選手がたくさんいるけど、参加できたら嬉しいね。」
というわけで来シーズンはポガチャルのアシストになるのでしょう。
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