
この本、タルコフスキーの8本の映画を何度も見ている人じゃないと面白くないでしょう。でも、何度も見ている僕にとっては、ものすごく面白かったぁ!!!
著者はDVDやブルーレイで何度も繰り返し見直しているようで、僕のようにタルコフスキーの映画は映画館で見るという人間にとっては、たとえば「鏡」なんか映画館で20回近く見ていると思うけど手元のDVDは1回か2回見ただけという人間にとっては、これだけたくさん見てたのに、気がついてなかったことがまだまだあったのね、と驚かされました。最後のシーンで子供の頃の家は廃屋になっているというのは、全くそう思っていませんでした。なるほど、ただの材木が置いてあるんだ程度だったけど、あれは家が崩壊した跡ってことなんだね。
他にも特に最後のノスタルジアとサクリファイスについては、ずいぶんいろんなことを教えられたし、納得いくところも多かったです。「サクリファイス」で3人の男から贈り物をされるなんて、おおっ、と感心したし、ユロージヴィ(聖なる愚者)が一つの大きなモチーフだというのも我が意を得たりという気分でしたね。「僕の村は戦場だった」から「サクリファイス」まで、樹木で始まり樹木で終わる弱いつながりは、僕も以前、漱石の一連の小説に喩えたことがあります。
でもそれでも、あえて言わせてもらうと、うーん牽強付会だろ!と思うところもずいぶんありました。特にモチーフを強引に何かのイメージと結びつけてせつめいしちゃうのって、やっぱり映画が浅くなるような気がするんだけどなぁ。タルコフスキーの映画って、たとえば登場人物がやたらと転ぶんだけど、あれは何とかの意味があるのだと説明して、わかりたくなるんだけど、そうしちゃうとなんかつまらなくなってしまうような気がしてしょうがないんだなぁ。
他にも疑問に思うところがいくつもあった。「僕の村は戦場だった」のラスト、ホーリンは戦死したんだろうか? また、最後のところは死んだイワンの「夢」なんだろうか? 映画を作っているタルコフスキーの夢なんじゃないのか? なにより、そうかなぁ、と思ったのは「ソラリス」のラスト。あれってクリスは死んじゃってるの?? また「アンドレイ・ルブリョフ」のラストでユロージヴィの娘がもう一度姿を変えて現れると断言しているんだけど、そうかなぁ、あれは別人だと思うんだけどなぁ。なにかはっきりした根拠があるんだろうか?
でも、っとまたひっくり返すけど、やっぱり、タルコフスキー映画をずっと見てきた者として、ものすごく楽しい読書でした。タルコフスキーの映画8本は、すべて複数階数見ているという人にとって、「所感が同意であっても反発であっても、本書がそのための具」(著者あとがき)となるはずです。そういう人にとってはもう絶対に必読書です。
なるほど!と膝を打ったところも、我が意を得たり!と思ったところも、そして上記のように、え〜〜っ?? というところも全てひっくるめて、著者に大感謝!!
拙ブログでのタルコフスキーについて書いたエントリーをリンクしておきます。
地球が滅びるときに見ていたい映画(「鏡」について)映画「惑星ソラリス」を見た映画「鏡」を見た映画「アンドレイ・ルブリョフ」を見た(完全ネタバレ)映画「サクリファイス」その他を見た(ネタバレ)映画「ストーカー」を見た(ネタバレ注意)タルコフスキーの「鏡」と「僕の村は戦場だった」他タルコフスキーの「アンドレイ・ルブリョフ」よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

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