
拙ブログではこれまで何度も死刑制度反対の立場で書いてきた。カテゴリーの「社会」のサブカテにも「死刑制度」があるので、興味があれば見てください。
この本に書かれていることで印象に残ったのは、「死刑制度があることが前提になっている社会と、ないことが前提となっている社会とでは、人々の考え方が違ってくるはず」(p.56) ということ。「もし死刑制度が存在せず、最高刑が、たとえば終身刑であれば、必ずしも死刑を望むわけではない、という人たちもいるのではない」(p.56) か? これは多分そうなんじゃないかと思う。
イギリスもフィリピンも死刑廃止前の死刑支持率調査では8割を超える国民が死刑制度を支持していたのに、政治決断によってこの制度を廃止した。そして廃止後の死刑を望む声は以前よりも小さくなったそうである。「国家として市民を殺さないという原則ができると、それが前提となるので、深刻な犯罪が起きても、死刑にすべきだという発想自体が出てこない」(55)というのである。
他にも上手い言い回しだな、と感じたのにこんな文章がある。加害者の生育環境が酷かったという例は、最近の安倍射殺事件の犯人もそうだが、古くは永山則夫とか光市の母子殺人の犯人など多数の例があると思うが、「本来なら、そういう状況に置かれている人たちを、私たちは同じ共同体の一員として、法律や行政などを通して支えなければならないはずです。しかし、支えられることなく放置されて(。。。)重大な犯罪が起きたら死刑にして、存在自体を消してしまい、何もなかったように収めてしまうというのは、国や政治の怠慢であり、そして私たちの社会そのものの怠慢ではないでしょうか。(p.37)
結局今のような自己責任を言い募り、格差拡大を促すような社会だと、死刑廃止論など支持されない。でも、この本で言われている「優しい社会」ができれば、死刑廃止論は支持されるようになると思う。また、逆に政治決断で、世論調査がなんと言おうと、死刑制度を廃止できたら、それが突破口となって社会は優しくなるのではないか、そんなふうにも思う。
だけど、今のような、権力者たちが「優しい社会」を憎む勢力に支えられ、支援されているような状況では、永遠に死刑制度は続くだろう。
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