
見たのはほぼ1週間近く前。今年初めての映画館でした。お客さんは10人居なかったですねぇ 笑)
1931年ベルリン、大学を出てタバコ販売のコピーライターをしている作家志望の青年ファビアンが、法学士で映画会社で働きながら女優を夢見るコルネリアと恋人になる。映画を一言で言えば恋愛映画だ。ファビアンはとても善良なやつで、でも世渡りが下手だから仕事をクビになる。一方彼女の方はとんとん拍子で女優への道を駆け上がる。
ファビアンには親友がいる。大金持ちの息子で文学博士号を得ようとするラブーデ。二人はこのワイマール共和国末期、ナチス台頭期の怪しげな、爛熟したベルリンの街のキャバレーを夜な夜なうろつく。
拙ブログでも紹介した「バビロン・ベルリン」やライザ・ミネリ主演の映画「キャバレー」の時代だ。街のあちこちにナチのポスターと共産党の落書きがあるけど、映画の中では政治的な混乱はあまり描かれない。最後の方で大学が、徐々にナチのシンパや党員に乗っ取られていくのだろうということが少し暗示されるぐらいだ。
映画はいろんな伏線が貼ってあって、出だしからしてものすごくおしゃれ。現代のベルリンの地下鉄駅を移動撮影で通路を通って階段を上がると、そこは1931年のベルリン。この時代は、よく現代に通じるものがあると言われるし(監督もそれを意識していると言っている)、拙ブログでもなんとなくそういうイメージで書いたことがある。インフレと失業で貧富の差は広がり、社会は不寛容になるとともに閉塞感に満ちている。
こう書くと、たしかに現代に通じると思うけど、キャバレー文化の爛熟のイメージは、今の日本にはないような気がする。若い人たちはあんな自堕落でエロチックで活動的な生活を送っていないように思えるし(僕が知らないだけかもしれないけど)、あんなに活気があるようには思えない。
他にも街路で突然「つまずきの石」がアップになるシーンがある。これは20世紀末から始まったプロジェクトで、ナチスの時代に迫害されて殺された人たちが住んでいた家の前に埋め込まれた金色のプレートで、これも現在に繋がるイメージとして、わざわざアップにしたんだろう。なんとなく
ここで3年半前に紹介した「未来を乗り換えた男」を思い出していた。
あの映画では逆に現在のフランスで、ファシズム国家ドイツから亡命した難民の男女が、ドイツ軍が攻めてくるという情報に怯えながらメキシコへ亡命しようとする話でしたが、こちらは、街を行く人たちの服装や車は1930年ごろのものだけど、間に挟まれるのは白黒の当時の記録映像で、CGを使って当時の街並みを再現することはしないし、上記のように現在が紛れ込む。
他にも、何度も「泳ぎを習おう」というポスターが写るんだけど、これも最後になって伏線だったことがわかるし、途中友人のラブーデが銃口を覗き込むシーンがあるけど、これもある意味伏線だった。
所々に挟まる、ちょっと皮肉なナレーションがなかなかいい。ベルリンに来た母と別れる時に、ファビアンは20マルクをバッグにそっと入れておく。家に帰ると母が置いて行ったお土産の中に20マルク入っているのを見つける。やれやれという顔をするファビアンの顔に「数学的には差し引きゼロだが、優しさの方程式ではこの数字は残る」とかいうナレーションが被る。ラストは僕は好きなタイプだなぁ 笑) ファビアンが常に肌身離さなかったメモ帳が、ナチスの焚書の映像にかぶり、この後のベルリンがどうなっていくかが暗示されて終わる。
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