
昨日に引き続き、今日も展覧会へ。310の東京大空襲の日で、ウクライナでロシアの侵略が行われている時だから、今日行くべきだろうと思って。。。
トリノの聖骸布っていうのがあって、死んだキリストを包んだ布だとされるもの。まあ、間違いなく偽物でしょうけど、そこに写ったキリストの顔がどう言ったらいいんだろう、痛々しいとか、無惨という言葉と同時に、厳かというか厳粛というか、まあキリストの像だから重みも感じさせる。
香月泰男のシベリア・シリーズの黒い顔は、西洋のロマネスクやゴシックの彫刻の影響だというけど、僕はむしろトリノの聖骸布のキリストの顔を連想した。
戦争が終わったというのにシベリアに抑留され、半年で1割の抑留者が死んだという。おそらく毎日誰かが死んでいく中でも、ある種の人は(ひょっとしたら誰でも?)美しいものを美しいと感じるんだろう。これはもう想像でしかないけど。
アウシュヴィッツを知った後で詩を書くなんて野蛮だとは、ドイツの哲学者のセリフだけど、実際は人はアウシュヴィッツの後でも詩を書かなくちゃならないのかもしれない。それともうひとつ、強く印象に残った香月泰男の言葉がある。こんな言葉。
「戦争の悲劇は無辜の被害者の受難によりも、加害者にならねばならなかった者に、よりおおきなものがある」
ウクライナ戦争に絡んで、あまりにさまざまな、陰謀論めいた、あるいは完全にフェイクだろうというようなニュースがたくさん流れていて、僕らにはその中から本当のことを選り分けることはできそうもない。ウクライナの一般の人々の受難には言葉もない。一方で人殺しを強要されるロシアの兵士たちは?
どこに視点を置くかは大切だ。9条じゃあ日本を守れないという人たちは被害者になることを心配しているのだが、上の香月泰男の言葉は、9条がなくなれば加害者になるかもしれないということを、僕らに思い出させてくれる。そして9条の意義はいうまでもなく後者の視点にこそある。
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