少し古い話題かもしれないけど、拙ブログでも書いておこう。うん、あの謝罪会見はどうしようもなかったね。
ただ、
拙ブログではず〜っとず〜っと言ってきたことだけど、差別意識って誰にでもあるんだよ。「差別はいけない」というのは、誰にでも差別したいと思う心があるってことが前提なんだと思う。
結構あちこちで言われていたのが、ああ言う爺さんっていっぱいいるよ。昭和を引きずったような爺さん。飲み屋でくだ巻いているの。だけど今回の問題は公人として(責任者だよ)大っぴらにああいうことを言っちゃうってのが大問題だよっていう言い方。
確かにそういう男って、「爺さん」に限らずいるだろう。そしてそれを他人から指摘されれば逆ギレするってのもよくある話だ。
だけど、ちょっと冷静になって考えて欲しい。自分にもああいう差別意識ってないだろうか? 男性ならみんな自分のうちなる森喜朗を意識して、それを憎まなければならないんだと思う。最近書いてきた相模原の障害者虐殺事件もそうだ。自分のうちなる植松聖を憎まなくてはならないんだよ。
うちなる差別意識を憎まず「しょうがないじゃん」とスルーしたり、逆に「何がいけないんだ!森喜朗がんばれ」って、自らの差別意識を開放しちゃう人が結構いるんだよね。
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