この人も含めてオーストリアには「帯に短し襷に長し」タイプの似たようなステージレーサーが何人かいますね。ボーラのミュールベルガー(来年は へ移籍)とかフェリックス・グロースシャルトナーとか、あるいはバーレーンのヘルマン・ペルンシュタイナーとか。
みんなグランツールでトップ10になったり、小さなステージレースで優勝したりするんだけどね。もう一つ地味なんだよねぇ。。。
というわけで今回登場のパトリック・コンラートもこのところ毎年のようにジロやツール・ド・スイスなんかで総合上位に入ってるんですけどね(今年はジロ8位、19年はスイス3位、18年はジロ7位)。
娘が年初めに生まれ、1月は家族と共にいたため、今シーズンは2月末のツール・ド・UAEでスタートしたものの、このレースは途中でコロナのために中断、次のレースまで5ヶ月待つはめに。
その後ルーマニアのシビウ・ツールで優勝した同僚のミュールベルガーに次いで総合2位、9月末に開催されたフレッシュ・ワロンヌで7位、そしてジロではステージ2位と3位を含めトップテン6回で、総合8位になりました。
コンラートの話。「今年はすべての選手にとって簡単ではなかったけど、特にジロに焦点を当てていた選手にとってはとても難しかった。ジロに向けて半年間準備してたらロックダウンと中断で、5ヶ月ずれてしまったんだからね。
僕は故郷でトレーニングして調子を上げ、5月のジロのために課題の大部分をこなしていたのに、新しいスタートをどう組み立てるか自分で考えなければならなかったんった。グラン・ツールに向ける準備は同じでも他のレースで現状を測れないんだからね。
コロナ前のツール・ド・UAEは総合13位だったけど、ラファウ・マイカが表彰台の可能性があり(マイカの結果は総合5位)、アシストしたからね。途中で終了になってしまったけど、今でこそウィルスのことがだいぶわかってきたけど、あの時は生涯で一度だけしか体験できないようなレースだと思った。ストレスはそれだけ大きかったよ。帰国後は保健局と医師たちの勧告で自分の家ではなく両親のもとに戻った。新生児が家にいるんだから最新の注意が必要だった。
それでもシーズンのスタートとしては上々だったと言えるね。冬場には完璧に健康だったし、年間通じてそれが一番大切だ。10月になっても調子が良かったのはそのせいだ。でも春に故郷にいるってのは変な感じで、最初はちょっとストレスを感じたね。いつどのようにシーズンが再開されるのか、プロ自転車選手として自分の仕事をまっとうできるのか、それがまるでわからなかったんだから。
だから7月のチームキャンプでみんなに会えて嬉しかった。ルーマニアで再開したレース【シビウ・ツール】ではグレゴール【ミュールベルガー】が優勝したけど、もちろん僕も勝ちたかったけど、他のステージレースでは彼に世話になってたから、彼の勝利は嬉しかったし、僕は2位でも十分満足だった。
【ジロの調整だった】ティレノ〜アドリアティコでも最初の数日は調子が良かったけど、後半はマイカのアシストを務め、その後のフレッシュ・ワロンヌではその前のツールで上位の選手たちについて行けて自信になった。
ジロでは総合トップ10に入れたけど、もちろんステージを取りたかった。もう少しで取れたステージが二つあり、それは本当に悔しい。でもその一方で、将来いつかチャンスはやってくるという確信にもつながった。」
来年はボーラで8年目。なんとなくボーラを出て別のチームへいけばグランツールでもエースになれるんじゃないかという気もするんだけどねぇ。
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