最終日にゲーガン・ハートがヒンドリーを逆転したことで思い出された36年前のジロ・ディ・イタリア。この時も最終日がタイムトライアルでフランチェスコ・モゼールがローラン・フィニョンをひっくり返して総合優勝したのでした。

当時のミロワール誌の表紙。フィニョンといえばポニーテール以前はこのバンダナですね。
この時のジロはコース設定からモゼールを勝たせるためのものでした。山岳コースが難度が低いだけではなく、そもそも少なく、途中の山場、ステルヴィオ越えのステージも直前で主催者がコース変更。フィニョンが逃げれば後ろではモゼールとは違うチームのイタリア人選手たちがモゼールのアシストか!という全力追走を見せるという、イタリア連合軍対フィニョンのルノーチームという図式。
それでも例年に比べ難易度の低いドロミテの最後から二つ目のステージでフィニョンがステージ優勝をしてやっとマリア・ローザを獲得します。が、フィニョンはゴール前20キロを過ぎてから補給を受けたと15秒のペナルティ。一方のモゼールは観客の「押し」があったと10秒のペナルティ。まあ、見ていたわけではないからわからないけど、モゼールは上りでかなり押してもらっていたようで、一方のフィニョンはかなり露骨な観客の邪魔を食らったそうです。このペナルティも最初はフィニョンだけに与えられ、抗議を受けて渋々モゼールのペナルティを追加したということですからね。
こうして迎えた最終日の42キロの個人TT。フィニョンのリードは1分31秒。対するモゼールはこの年の初めにアワーレコードでメルクスの記録を破って新記録を達成しています。その時に使った自転車がいわゆるファニーバイク。このジロの最終日でも同じディスクホイールのファニーで出走。一方のフィニョンはノーマルの自転車で、結局モゼールが2分半以上の差をつけて最終日にひっくり返したのでした。
ただ、この最後のTTも結構な曰く因縁付きですね。Jスポーツで栗村さんも話していたことがあるけど、上空を飛ぶヘリコプターによる露骨な追い風作戦・逆風作戦なんてのもあったらしいです 笑) まあ、かようについこの前まで 笑)自転車レースっていうのはローカル色豊かなおらが村、おらが町、おらが国の、勝てばいいんじゃ!というイベントだったということですね 笑)
ちなみに、この時ファニーバイクやディスクホイールという新機材を使うことを拒否したフィニョン、これから5年後のツールでも同じようにレモンが使ったスコットハンドルを使わずに、最終日にひっくり返されています。
以上、参考にした主なものは自転車競技マガジン 1984年8月号です。この号で記事を書いている人は中村一夫という人で、モゼール贔屓の描写では、ここで僕が書いたよりもずっと「すごい」ことが書いてありますが、かなり穏便にまとめてみました 笑)
よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト