いやあ、多分このレースに興味があった人たちのうち3分の2が望んだような展開とゴールシーンでした。残りの3分の1はアラフィリップがなぁ。。。
ファン・デル・プールも見えてなかったですね。慌てて左に切り込んだけど、後ろについてたアラフィリップはそのまま反応できずに突っ込んじゃった感じです。審判バイクだそうですけど、なんでスピード落としたのかなぁ? 中手骨骨折だそうです。手の甲の部分ですかね。
しかしシクロクロス時代からのライバルがフランドルという、ある意味自転車レースの頂点の一つで、こんなミリ単位のスプリント争いをするとはねぇ。しかも残り35キロでアラフィリップが落車した後はずっと二人で逃げたわけですからね。
レースとしてはコッペンベルフでは先頭集団が30人ぐらいいたようで、そこでアラフィリップがアタックし、その後ファン・デル・プール、さらにタイエンベルフでファン・アールトが合流ということで、3人だったらその後どうなったかは、まあタラレバ言ってもしょうがないですが。。。
しかし、ファン・アールトが後ろについてたし、ツールでスプリント力を見せたし、少し前のヘント〜ヴェフェルヘムではファン・アールトが8位、ファン・デル・プールが9位だったからファン・アールトかな、とみんな思ったでしょうけどね。200メートルで二人一緒に腰あげたとこなんか、トラックのスプリントみたいでした。
拙ブログとしてはデーゲンコルプが3位争いグループで9位。かつてのスプリント力は衰えたかなぁ?
86年に父親のアドリ・ファン・デル・プールがショーン・ケリーのモニュメント全制覇を阻んで優勝したんですが、34年後に息子が優勝ということになりました。親父の勝った時のミロワール誌の写真。

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