
私の部屋の壁には
クリケリオンのポスターやサイン入りマイヨだけではなく、友川カズキのサイン色紙や
20世期の変なカレンダー、
1990年の宇都宮であった世界選手権のノボリなんかが貼ってあって、普通の家の壁とはだいぶ違っています 笑)
そんな中で1番の古参は上のバッハのBWV 246 Nr.40 の自筆譜のファクシミリコピー。これは1970年代にレコード芸術か音楽の友か、はたまた音楽現代か、いずれにしてもそういう音楽雑誌の付録についていたものです。多分僕は高校生だったと思います。
なぜこんなものが雑誌の付録に? この現物がなぜか1960年代に東京で発見されたんですね。どういう経緯なのかはよくわかりませんが、現在も
前田育徳会が所蔵しているそうです。
バッハという人は自分の曲の楽譜だけでなく、他人の曲の楽譜を筆写したものも多数残っているんだそうです。バッハの所蔵楽譜文庫と呼ばれていて、そこからバッハにとって興味があった分野がわかるんだそうです。逆に言えば、オペラの写譜はないことから、バッハがオペラを書くつもりは全くなかっただろうということも逆にわかるわけです。
で、このBWV246というのはどんな曲かと探すと、これがバッハの作曲したものではないんですね 苦笑) 作者不詳の「ルカ受難曲」の40曲目のコラール(賛美歌)です。
哀調を帯びたいい曲です。このコラールの作曲者はわかっています。バッハより1世代前のシュヴェームラインという人が作曲したコラールで、元々テノールと通奏低音だけの楽譜に、バッハが弦楽パートを書き加えたのが写真の自筆譜だそうです。
受難曲には別人の作曲したコラールが使われるのは普通のことで、バッハのマタイなんかでもイザークやハスラーという人たちの作曲した歌曲がコラールとして歌詞を変えて転用されています。
バッハが4福音書のすべてを受難曲に作曲したかどうかはわからないみたいです。死後に息子や他の人たちが書き記した記録では、現存するマタイとヨハネ以外に、歌詞だけ残されたマルコ受難曲(これは歌詞の構造によって他のカンタータなどが転用されていたことがわかるそうで、現在いくつかCDが出てます)と、他には名称不明の2曲があったのではないかと言われているようですが。まあ、素人考えだと4つの福音書のうちルカだけ作曲しなかったというのもあり得ないと思うんだけどね。
というわけで、このコピーを額に入れて壁にかけた頃には、これがどんな曲か全くわからなかったし、無論レコードにもないし(CD以前ですから)、ずっとなんとなくバッハの自筆譜として飾っていたんだけど、今はネットで探せば YouTube にもいくつもヒットしますね。なんか便利な世の中になったんだけど、私などは不安も感じたりします。
参考文献 磯山雅他編「バッハ事典 全作品解説事典」東京書籍
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