なんだか非常に嫌な事件だ。ただ、僕が一番嫌な気持ちになったのは、被害者?の「こんな姿で生きていたくない」という言葉だ。誤解を恐れず言えば、ここには強烈な差別意識がある。亡くなった人を批判するのはとても嫌なことだけど、「こんな姿」に対する差別意識が自分に向かったのが今回の被害者だと思えるのだ。つまり差別する相手がたまたま自分だっただけだ。
そして、そういう言葉に、上っ面の想像力で同情+共感する人が多すぎる。だけど、そうやって共感+同情している人にも、「こんな姿」に対する強烈な差別意識があるということを、彼らはどの程度自覚しているのだろう?
こうやって偉そうに(しかも亡くなった人に対して)差別意識を批判している僕だって、自分が「こんな姿」になったら「生きていたくない」と思うかもしれない。誰にだってこういう差別意識ってあるだろう。
先日書いた山本太郎の言葉はここにつながってくる。自分の中にもあるかもしれない差別意識とじかに向き合ってそれを自覚し、これ克服しようと努力しなければ、人間なんてすぐに「悪」に取り込まれてしまう。自らの内なる負の意識を自覚できなければ、スターウォーズのフォースじゃないけど、人は簡単に堕ちてしまうのだと思う。
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