日本でも自転車ロードレースが少しはTV放映されたり人々の話題になったりし始めた1990年ごろ、この選手は三大ツール全てに出場する選手として話題になっていました。同時に90年のツールではステージ優勝もしていました。僕としては先に書いたクリケリオンとなんとなくかぶる印象でした。つまり、山岳に強く、そこそこ名前を見かけるし、ツールでは上位に入るけど、ちょっと地味目。
ちょっと調べたらブエルタで82年に総合優勝しているんですね。ただしこれは一旦総合優勝が決まったアンヘル・アローヨがドーピングで引っかかって失格、繰上げでの優勝という、まあ、名前だけ残ったというやつでしたが。
バスクの選手らしく、何しろクールでした。2000年ごろに活躍したロベルト・ライセカというバスクの選手がいましたが、この人も怖い顔してて、優勝してゴール越える時にも怖い顔のまま十字をせわしなく切って、インタビューでも笑顔を見せないというどっかのラグビー選手みたいでしたが、このレハレッタもそんな感じでしたね。
私の印象は1982年のサロンニが勝った世界選手権でのレハレッタが一番最初の印象です。無論リアルタイムで見たわけではありません。1985、6年ごろにダビングにダビングを繰り返してほとんど輪郭が雨の中の水彩絵の具の絵みたいになったアメリカのビデオを見たのでした。
この年の世界選についてはサロンニのものすごいアタックについて以前紹介したことがありましたが、その時のYouTubeはすでに見られなくなってますね。残念。
優勝したサロンニもすごかったけど、同じぐらいびっくりしたのがレハレッタ。ラスト1周のジャンが鳴ると集団からアタックして半周ぐらい一人で逃げ続けます。
当時のダビングにダビングを重ねたビデオがまだ残ってました。45分強。久しぶりに見ました。ただ、あまりに画質がひどいのでYouTubeにあるかと探したけど上記のようにすでになく、ラストの1、2分の映像しかヒットしませんねぇ。なのでTVの画面をスマホで撮りました。

一人逃げ続けるレハレッタ。当時ホビーチームのみんなで日曜の早朝6時に皇居の半蔵門に集まって練習し始めたばかりで、集団の中にいると楽チンでそこから飛び出すなんていうのは夢のようなことだったし、正直理解できなかったから、すげえ!と思いました。しかし半周以上逃げたところで捕まります。

ところがラスト2キロぐらいでしょうか、ここで再びレハレッタがアタックするんですよ。左端が彼。

画像がすごくてなんだかわかりませんね 笑)

しかしこのアタックもアメリカのジョナサン・ボイヤーに追いつかれて潰されます。

ちょっと見えづらいですが、後ろの青い星条旗がボイヤーですが、この時はボイヤーがものすごい勢いで逃げ切っちゃうんじゃないかと一瞬思ったところへ、同国人のレモンがサロンニを連れてアタックして、終わってみればサロンニのアシストをしたみたいになって、一部非難を食らったようですが 苦笑)
まあ、ラストのサロンニのアタックはこちらのYouTubeをどうぞ。
レハレッタは結局5位でゴールしました。この選手って僕の第一印象は、これも以前書いたけど、白土三平の「カムイ伝」で抜忍カムイを追うカラミの手風(てぶり)という冷酷な追忍のがいましたが、その印象でしたね。


ちっとも似てない? ではこんな表情だったらどうでしょう 笑)

ちょっとはカラミの手風っぽくなったでしょう? 笑)
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