
この選手は1980年代、日本でもシマノやコガミヤタの広告でよく写真を見たのではないでしょうか。

他にも私は当時のビジネス雑誌の表紙になぜかヴィネンがダンシングして登っていく写真が使われていたのを記憶しています。
この選手、私の友人はよくサンダーバードと呼んでました。なんとなく眉毛まで金髪なところが当時の人気人形劇サンダーバードに出てくる兄弟の誰かに似ている感じがしたからでしょう。


でも並べると流石に無理があるなぁ 笑)
でも実はこの選手はかなりの変り種です。14歳から18歳ぐらいまで自転車競技に夢中になり、常に上位に入るような成績だったけど、教員になりたくて大学へ進学し、18〜21までは全く自転車のトレーニングはしないで勉強一筋。教員免許も取ったものの、地元の学校の教員の職が空いてなくて、就職浪人中に体力づくりも兼ねて、昔取った杵柄、自転車にでも乗ってみようかと自転車トレーニングを再開したというわけです。そしたら翌年の、当時アマチュアのツールと言われていた東欧圏縦断レース、ピースレースに参加し総合2位。そのままオリンピックモスクワ大会のメンバーになり、終了後23歳でプロ入りすると、81年のツール、ラルプ・デュエズで優勝して新人賞も獲得してしまう。
1981年のラルプ・デュエズのYouTubeが見つからなかったので、ゴールシーンだけですがこちらの30秒過ぎから。
独走でイノーらの追走集団を尻目に優勝です。
さらに2年後の同じラルプ・デュエズで、今度はベルノドゥと1対1のスプリントになり、2勝目。こちらのYouTubeは40分ぐらいありますが、画面が横に潰れているのが残念。
ラルプ・デュエズを2勝しているのは他にはヘンニ・コイペルとズーテメルクとブーニョとパンターニ(アームストロングもそうでしたが剥奪)だけですから、大変な名誉でしょう。現在ラルプ・デュエズのコーナー13番と15番に彼の看板が掲げられているそうです。
また、最近は名前が出てこないけど、ウィナー・アナコナ、何年か前のブエルタで結構活躍した選手の名前がこのヴィネンから取ったと言っていましたね。ただ、なんでウィナーなんだ?と思ってヴィキをちょっと探したら、英語のアナコナのところで確かにヴィネンから取ったけど間違えてウィナーになったと出てました 笑)
何しろ好きなものと聞かれて読書と音楽と言い、どんな?と尋ねられると即座にロシア文学とクラシック音楽と答えるそうで、本も2冊出しているそうです。一冊は以前私も種本として 笑)拾い読みしました。

よければ、下の各ボタンをポチッとお願いします(まあ、大した意味ないですので、ポチッとしなくても構いません。おまじないみたいなもんです 笑)

にほんブログ村
- 関連記事
-
スポンサーサイト