(クリケリオンというと地元のクラシックLBLでモレノ・アルジェンティンにどうしても勝てなかったということでも有名ですが、こちらは以前書いたのでそちらをご覧ください。)
思い出のLBLさて、クリケリオンといえば、世界チャンピオンになったことより、地元で2度目の世界チャンピオンになり損ねたことで有名かもしれません。
この時の舞台ロンセという街はすでにベルギー人に取っては非常にビミョーな過去のある街だったんですね。63年の世界選手権、それまで2度の世界チャンピオンになっていたリック・ファン・ローイが地元で3度目の世界チャンピオンを目指し、ゴール直前で無名のチームメイトのベノニ・ベヘイトに差されてしまう。

ベルギー人が優勝したのはいいけれど、英雄ファン・ローイではなく全く無名の若造が、あろうことか英雄を後ろから差すなんて! というわけで表彰式は誰も嬉しそうではありません。

さて、そのロンセで2度目の世界チャンピオンのチャンスだったのに、ゴール75メートル前でバウアーが肘を出して、クリケリオンは落車。ゴールまでを歩きながら抗議しました。
まあ正面から見るとよくわからないんですが、こちらの28分ぐらいからを見ると、クリケリオンのアタックに反応できそうにないと思ったか、とっさに肘が出たんでしょうね。コースを塞ぐタイミングではなかったですね。
このドキュメンタリー番組は三人の当事者だけでなく、当時の選手たちも出てきて面白そうなんだけど、全編オランダ語 苦笑) ついでながら、上に書いたベヘイトがファン・ローイを差してしまう映像も11分過ぎぐらいからあります。
この後の経緯は、バウアーがTVであれは俺が悪いのではないと発言、それを聞いたクリケリオンは、本人の言うところでは、レースから2日後にはもう忘れていたそうですが、チーム監督の後押しもあってバウアーに損害賠償を請求する裁判闘争になりました。無論こんな訴えが通っちゃったらスポーツの世界が大変なことになるだろうから敗訴しましたが 苦笑)
まあ、たらればは観戦する側につきもの。もしあそこでクリケリオンが落車しなかったらどうなったか? フォンドリエストはスプリントはあまりないですから(何しろこの年のミラノ〜サンレモではフィニョンとタイマンのスプリントで負けてるぐらいですし)、バウアーは後ろから追いついてきたばかりですからねぇ、とベルギー人は考えるでしょう 笑) ちなみに市川さんは、あれはどっちにしてもずっとツキイチだったフォンドリエストが勝ってましたよ、と言ってましたっけ。
さて、この次の年のアムステルゴールドレースではエリック・ファン・ランカーが単独で逃げ切り優勝するんですが、追走集団でクリケリオンとバウアーの直接対決が実現します 笑) 上のドキュメンタリーでも最後の方に出てくるんだけど、改めてYouTube貼っておきます。
この時のマスコミはファン・ランカーの優勝そっちのけでクリケリオンがバウアーに勝ったことを見出しにしたのでした。というわけで、裁判は無茶でしたが、ここでバウアーにスプリントで勝ったことでクリケリオンとしては溜飲を下げた、と言えるでしょう。
上のドキュメンタリー番組の最後にクリケリオンはこう言っています。
「クリケリオンという名前が出ると、人々は1988年のロンセを連想するだろうけど、それは辛いことだ。1984年の世界チャンピオンだと思い出して欲しい」
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