昨日、クリケリオンについてちょっと書いたんですが、この選手は1984年に世界チャンピオンになっていて、以前YouTubeをリンクしておいたら、それが切れているようなので、新しいのをリンクしておきます。
見ての通り、この8分余りの映像の中では最初からクリケリオンが単独で逃げていて、後ろも単独でコンティが追いかけているだけ。実はゴール前20キロぐらいから4、5人のグループからクリケリオンがアタックし、そのまま逃げ切ったんですね。その逃げる瞬間の映像はこちら、4分30秒過ぎぐらいから、ちらっと映ります。
これには前半もあって、クリケリオンが亡くなった直後にアップされたもので、効果音がマーラーの暗い音楽が付いてたりしますが、TV放送されたのはクリケリオンが引退した直後の92年のようです。
この世界選手権はスペインのバルセロナ、モンジュイックの丘を越えるきついコースで、
以前紹介した1973年の疑惑の世界選、ジモンディが4人のスプリントを制するのと同じコースだったようです。
今回84年は優勝候補はツールの優勝者フィニョンやイノー、ジロを制したモゼールや前年度のチャンピオンレモンが有力視されていたんですが、日陰でも40度を越える猛暑で、有力選手はみんな途中でやめてしまいました。クリケリオンはこの時点まで、ツールの総合でトップ10には何度か入っていたり、クラシカ・サンセバスチャンで優勝したりしてたんですが、期待度が高すぎで、結果はまだまだという選手でした。まあ、世界選手権ってこういう選手が勝って、その後名選手になるっていうパターンはよくありますね。
で、クリケリオンも昨日写真で見たように、アルカンシェルを着てフレッシュ・ワロンヌに優勝したり、ツールでは総合5位になったり、さらにツール・ド・ロマンディやミディ・リーブルで総合優勝したりして、87年のフランドルで優勝します。これが一番大きな成績でしょうね。

YouTubeもあります。
1時間以上の長尺ですが、こんなご時世だから、最初から最後までのんびり環境ビデオみたいに流しておくのも良いでしょう 笑) そんな暇じゃない、という方は44分半のクリケリオンの平地でのアタックと59分ぐらいからの追走集団内でのアタックと牽制、そしてクリケリオンのゴール、追走集団でのケリーとファンデラールデンの2位争いスプリントをどうぞ。
終盤一番の難所ヘラールツベルヘンの壁を越えて、残り15キロを切ったぐらいですかね。完全な真っ平らの区間で十人の逃げ集団からスルスルとアタック、一瞬先頭を走っていた黄色いマイヨのケリーが躊躇しますね。そのあとファンデラールデンらが追走に入るけど、本当にこの一瞬の間が命取りでした。
先頭の十人の名前を挙げておきます。さあ、何人わかりますかね? 笑)
ショーン・ケリー
エリック・ファンデラールデン
スティーヴ・バウアー
マルク・セルジャント
スティーヴン・ロークス
ロニー・ファン・ホーレン
アドリ・ファン・デル・プール
ルド・ペーテルス
アラン・パイパー
正直、私はファン・ホーレンという選手は知りませんでしたが、他は結構印象に残っている選手たちばかりです。ルド・ペータースはNHKで86年のツールの総集編の時にバカンスを利用してツールをキャンピングカーで追いかける一家が出てきましたが、その時彼らが追っかけをしていたのが、字幕の中ではルド選手と言ってましたが、このペーテルスでした。アラン・パイパーはプジョーチーム時代のマイヨが我が家にあります。まあ、サイン入りではないので、真偽のほどは定かではないのですが 笑)詳しいことは書けませんが、知り合いがそのまた知り合いから、さらに。。。と、色々巡り巡って私の手元にやってきたのでした。バウアーは次回きっと大きく触れるでしょう 苦笑)
しかし、映像の荒さは仕方ないとしても、乗り方が今とは全く違いますね。登りでも重いギアをワシワシ踏んづけてます。逃げてる時のギアもかなり重いです。どこでだったか、登りでアタックする時には左手を伸ばしてアウターへチェンジしてますからね。この時代、スピードをあげる時には原則としてペダルを速く回すのではなく、ギアを重くしたのですね。
しかし、これやってると、あちこちいくらでも寄り道して仕事になりません 笑) というわけで、クリケリオンについてはまだ書きたいことが色々あるので、この項つづく、ということでまた次回。
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