
ツタヤで借りた映画ですが、二度観ました。一度めが面白かったからではなく、人物関係がよくわからなかったからです。正直、スターリンとベリヤとフルシチョフ以外、名前も知らない状態で見ましたから。で、二度観てなるほど、面白い、すごく面白い。笑えないギャグ満載の映画です。どこかモンティー・パイソン風の不条理ギャグで、細部はともかく事実に基づいた話であるわけだし、大量連行や組織的殺害の命令と実行も描かれるわけだから、これって笑うところなのか? と。。。
1953年、スターリンが死にます。それによって後継者争いが勃発。中心人物は今ひとつパッとしないフルシチョフ(上の写真では右から二人目)と冷酷なNKVD(のちのKGB)長官ベリヤ(左端)で、そこに気の弱いマレンコフ(右から3人目)や、武闘派の将軍ジューコフ(右端。これがかなり笑えます)、粛清対象だったモロコフ(中央)やスターリンのアホ息子や娘(左から2番目と3番目)などが絡んで、後継者争いが始まります。そのドタバタぶりがどこか不条理な笑いを呼びます。まあ、権力争いなんて不条理なものなんでしょう。
お話は史実通りに進むし、途中のNKVDによる大量虐殺や収容所での状況も史実に基づいているんでしょう。しかし、酷い。ナチス時代のドイツより数倍酷いかもしれません。何しろ殺させたベリヤ自身が、あいつは無実だったなんてうそぶく。少なくともナチス時代の一般市民はナチスに従順でさえあれば、身の危険は感じずにすんだけど、スターリン時代は一般市民もいつNKVDに踏み込まれるか知れず、息をこらして生活していたのでしょうから。この映画でもアパートの寝間着姿の指揮者が覚悟するシーンなどに、それが暗示されます。
以前
ここで地球が滅びる時には絶対見たい映画、生涯の最後に見たい映画として書いたことがあるタルコフスキーの「鏡」に、思い出のシーンなのか、それとも夢のシーンなのか、何れにしても、母がスターリン時代に印刷所へ急ぐシーンがありました。この
シチュエーションの僕なりの解釈は以前書きました。このシーン、母が印刷所へ急ぎ、周りの職員を無視して何かを確認し、そしてそれが終わるとホッとし、どうしたのとリザベータに聞かれて何かを彼女の耳元で呟き、リザベータがおお、それはよかったと言います。最初に見た時は全く意味がわからなかったけど、後ほど、パンフやいろんな解説によって、当時のスターリン体制下では新聞でスターリンの綴りが間違っていたら、植字工から編集チェックの者までみんな収容所に送られるようなことがあったことを知りました。あのシーンはその暗示だったんでしょう。
以前、
ゲルマン監督の「フルスタリョフ、車を」というとんでもない映画をここでも紹介したことがありましたが、映画内での出来事が色々かぶるんですね。この映画でもスターリンが死の床にあるときにベリヤが「フルスタリョフ!」と叫びます。ただしここでは車を呼ぶのではなく、都合の悪い書類を「車へ」入れておけと命令するんですが。
ゲルマン監督の映画の方は、ある日突然収容所に入れられた腕の立つ医者がスターリンのために呼び寄せられますが、スターリンの死後も生き残るようです。しかし、こちらの映画では、スターリンが死んだら、医者も含めてそれを知っている関係者は全員口封じのために殺されます。門番まで。しかしその殺害シーンは深刻なはずなのに、どこかドタバタしててギャグっぽい。
というわけで、ナチス時代の酷さを描いた映画はたくさんありますが、スターリン時代の酷さもある意味その上を行くものがあったわけで、それを真正面から描いた映画はあまりないような気がします。ニキータ・ミハルコフの「太陽に灼かれて」が、戦前のスターリン時代の大粛清で殺される将軍の話だったけど、映画のポイントはそこではなかったような気がするし。。。
ある意味、スターリン時代を正面から批判するような映画だと、当然現在のプーチン時代の批判にも繋がる面があるんでしょう。以前書いたズビャギンツェフも
プーチン批判を暗示したとも見える「裁かれるは善人のみ」を作ったら、次の
「ラブレス」はロシア政府から製作資金が拒否されたそうだし。そもそもこの映画自体がロシアでは公開禁止だそうです。
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