拙ブログでは何度かこの事件について書いた。
今回の大量殺人事件について今回の大量殺人事件について(続き)今回の大量殺人事件について(その3)今回の大量殺人事件について(その4)立岩真也・杉田俊介「相模原障害者殺傷事件」覚え書き「開けられたパンドラの箱」感想昨日判決が出た。犯人自身は自分は良いことをしたのだと言い続け、トランプや安倍ならわかってくれると思っていたようだし、今も思い続けているんだろうと思う。
こういう強い思い込み、自分が死刑になる可能性が高いのにそこから逃れられないのって、ある種の「才能」だと思う。「強い思い込み」という言葉を使ったけど、これが例えば
先日ここで紹介したテレンス・マリックの映画「名もなき生涯」なら「信念」という言葉になるだろう。今回のように「強い思い込み」から人を次々と殺す一方で「信念」から自らの命を捨てる。これって同じコインの裏表のような気がする。無論やったことがまるで真逆だから、こんな言い方をすると怒る人も多いだろう。ただ、どっちにしても僕にはこんな強い「思い込み」も「信念」もない。普通の人にはないだろう。そういう意味である種の「才能」だと思うわけ。
でも、この「才能」がどっちに向くかはいろんな要素が働くんだろう。今回の犯人の場合は今の社会を覆う雰囲気が大きく影響したんだろう。つまり今の社会、自己責任を言い募る社会(その実、権力を持つものたちは口先ばかりで責任を取ろうとしない)、人間の価値を生産性とか経済効率で語りたがる社会、こういう社会が犯人を生み出したんだと思う。
そういう社会の中で、
山本太郎が言うように、自分が役に立つところを見せようとして、役に立たない(と彼が思いこんだ)人たちを殺したのが犯人だった。
だから、障害者を排除して日本の財政負担を軽くするべきだと盲信した馬鹿な犯人を死刑によってこの世界から排除しても社会は変わらない。排除の連鎖を断ち切らなければ、世の中は変わらない。
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