昨日の山本太郎と死刑制度の話をFBの山本太郎応援グループにアップしたけど、まあ、これについては評判悪いですね。昨日も書いたように、この質問って地雷かも、と思っていたし、逆に死刑制度廃止を主張する人たちが山本太郎を利用していると言われる可能性もあるな、と思ってはいたけれど。。。
そして、僕がグループにアップしたら早速「あなたの子供が殺されても死刑反対と言えますか」と書いてきた人がいたので、こちらもいつものように「あなたの親が無実で死刑になっても死刑賛成と言えますか」と混ぜっ返したら、まあ、ものすごい怒り方。そもそもがなんでそんなに怒るのか、僕には理解できない。
以前にも書いたけど、酒の席でポロっと一言、冗談めかして、笑いながら、僕は死刑制度反対ですから、と言ったら、正面に座っていた人がものすごい勢いで「あなたの子供が殺されても云々」と、上で書いたのと同じことを言い出し、こちらは場も場だし、簡単にいなそう、冗談にしてしまおうと思ったのに、猛禽類が獲物に飛びかかるかのような勢いで、本気で腹を立てて食いついてきたことがあった。その人も普段は安倍を嫌っているリベラルな人だった。
このブログのコメントでもそういうことがあった。なんでなんだろう? そういうことを言う人が、本当に自分の子供を殺された当事者だとしたら、これはもう申し訳ないと謝るけど、仮定の話、想像の話なんだよね。そして死刑廃止を唱えると、それを綺麗事を言うといって腹をたてる。まるでお前の子供が殺されたら、ザマアミロと言ってやるぞとでも言わんばかりの勢い。
結局、このザマアミロというのが今の日本の社会の雰囲気を作っているキーワードなのではないかと思う。遠い昔、
このブログを始めたばかりの頃にも書いたことだけど、東京都知事の石原慎太郎が、このザマアミロを体現しているように感じた。そこには何か鬱屈したものがある、何かに対する劣等感のようなものがあると思わせられた。そして彼のそうした鬱屈、劣等感に自らの鬱屈や劣等感を仮託して、一緒にザマアミロと叫んでいる人たちがいるように感じた。
だけど現在、もう石原の支援者たちだけじゃなく、日本人の多くが、右も左も関係なく、何かを叩いて、ザマアミロと言いたがっている。それはなぜか? 山本用語でいうなら、社会がとてつもなく生きづらくなっているからだ。
そして人々が誰かに、あるいはある種のグループに自分の鬱憤をぶっつけている。ザマアミロと言う相手は、例えば「パヨク」(まあ私もその一人でしょう 苦笑)だったり、生活保護受給者だったり、凶悪犯罪者だったり、朝日新聞だったり、リベラルだったり、在日外国人だったり、死刑反対論者だったり、上級市民だったり、金持ちだったり、ネトウヨや右翼政治家だったり、あるいは場合によっては産経新聞や安倍や自民党だったりもする。そう、リベラルな人たちの中にも、このザマアミロという病原菌は蔓延しているような気がする。
だけど偉そうなことを言うつもりはない。この病原菌は人間誰でも保有しているものなんだと思う。間違いなく僕にもある。ザマアミロの気持ちを持たないようにしようなんて言うのは無理だと思う。
僕の人間観はモットーにあるように、悪い人間なんていない、普通の人間がいざとなったら急に悪人に変わるから恐ろしい、と言う漱石の言葉に基づくものだ。だから差別心もザマアミロと言う気持ちも、人間である以上誰だって抱く。だけど、そうした内なるさもしく浅ましい感情を憎まなければいけない。そう思うんだよね。僕のうちなる差別意識の自覚についてはこちら 笑)
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