rsnに記事が載っていました。こんなことを言ってます。
「今辞めるとは思ってなかったよ。肉体的にも精神的にもまだプロのレベルにあると思ってるからね。でも簡単にやめちゃうのは嫌だったから、幾つかのチームにも話をしてみたんだ。」
「僕は100%このスポーツに集中し、余暇には趣味に没頭したいと思ってきたんだ。そしてそのバランスをうまく取れてきたと思っている。プロ自転車レースはハードな仕事だけど、僕はそこから楽しみを失うことはなかった。このスポーツのない新しい生活はほとんど想像もつかないね。」
この後はまずはプロ自転車競技とは距離を置いて、トレーナーのための勉強を始めるそうです。基礎から勉強したいので、大学へ行くかコーチングのセミナーへ行く予定だとのこと。
「まずは子供たちとやりたいんだ。その後、僕がどの方向へ向かうかを決めるつもりなんだよ。プロの自転車レース界へ戻ってくることも原則的に視野に入れてある。だから将来のことは期待しているんだ。」
「僕の才能はそんなに大きくない。アマチュア時代からスプリントがなかったから優勝はほとんどできなかった。でも、自分のキャリアには満足しているし誇りに思っているよ。今はもうこれ以上続けることができないと慌てる必要はないさ。」
フレーリンガーは結局プロでは一勝もあげられませんでした。
先日も書いたように、惜しかったのが二つありました。
まずは2008年のジロ・ディ・イタリアの第5ステージ。5人の逃げグループから残り900メートルでロバート・ミラーがメカトラで脱落し、そのタイミングでパーヴェル・ブルットのアタックが決まってしまったのでした。次のYouTubeでは30分45秒~38分ぐらいです。ミラーが怒りに任せて自転車を投げ捨てたのをカメラも追って、おかげでカメラが戻ったらブルットが逃げてました 笑)
もう一つは2009年のツールの第7ステージ。9人の逃げが決まって最後のアンドラ・アルカリスへの登りでも生き残って3位。
これだけ見るとプロで13年やって0勝というのが信じられませんが、何しろこの10年ほどでチームでの役割分担がものすごく厳格になってしまいましたからね。2011年ごろからのフレーリンガーのチーム内での役割は完全にチームの司令塔役と若手選手の指示役になりました。でもスキル・シマノ時代のキッテルやデーゲンコルプの活躍はフレーリンガーの力も大きかったのでしょう。そうでなければ、こんな地味な選手が13年もプロ生活を続けられないでしょうね。
もう少しTTが速ければ、短いステージレースでの上位も狙えたんだろうけどねぇ。。。私としては
2010年のジャパンカップ以来、図々しく彼のブログにコメントして強引にメールでブログ紹介のOKを貰ったりしたし、サブカテのフレーリンガーは200以上記事を書いているので、ちょっと寂しいです。
フレーリンガーの話です。「100から0へというわけにはいかないだろう。自転車に乗るのは大好きだからね。11月の単調な日々をトレーニングの計画なしで過ごすのは変だよ。自転車に乗りたいし乗る気は満々だよ。もう今から次のマウンテンバイクでのサイクリングが待ち遠しくてしょうがない。」
いつの日にか、コーチとか監督として、どこかドイツのチームを率いる姿が見られますかね?
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