と言うわけで、最近は往年の名選手の死や病気ばかりが拙ブログのニュースになっております。
最近ではクロスの世界チャンピオンでロードでも参戦すれば台風の目になっているマチュー・ファン・デル・プールのおじいちゃんとして有名ですが、フランスではある時期、間違いなく一番愛されたフランス人の一人だったはずです。
アンクティルの全盛期、そしてそのあとにはメルクスが登場と、ツールに5勝する二人を前に、とうとうマイヨ・ジョーヌを一度も着ることができず、彼ら最大のライバルたちがいなかった時には落車でリタイア(1968年、73年)したり、ジモンディやエマールにマイヨ・ジョーヌをまんまとかっさらわれたり、運がなかったと言われる選手。15年に渡りツールに出場し、その間8回3位以内に入りながら、とうとう1位はなかった選手。
まあ、本人は自分はブエルタにも勝ってるし、プロで200勝近くあげているんだ、と胸を張っていたようですが。世界選手権でも74年にメルクスに次いで2位。そしてツール100年の時のアンケートで史上最高のツールとされた64年、もうツールのコースになることはないであろう、
ル・ピュイ・ド・ドームで、総合優勝するアンクティルと肘をぶつけ合う激しいバトルを見せながら、55秒差でやっぱり2位。ツールの歴史には万年2位とか、不運を絵に描いたような選手が何人もいますが、そんな中でも最も印象的な選手の一人だったと思われます。
前にも何度か書いたことですが、プリドールにとって最大のライバルだったアンクティルが53歳で亡くなる時、プリドールは死の直前(前日と書いてある資料もあります)にアンクティルを見舞いに行くと、アンクティルはこう言ったそうです。
「レイモン、悪いな、また君は僕より後だ」
今、アンクティルに遅れること三十年以上遅れてゴールしたプリドール、先にゴールしたアンクティルは彼を笑顔で迎えてくれた、と願ってやみません。
合掌。
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