
(我が家にあったジモンディのキーホルダー。まあ、今の目で見りゃあちゃっちいもんですが、もう50年前のものですからね)
76歳。まだ早いなぁ。シチリアでの休暇中に心筋梗塞で亡くなったそうです。60〜70年代のメルクスの好敵手とされた選手です。1973年にはメルクス、オカーニャ、マルテンスと4人のゴール勝負で勝って世界チャンピオンになっています。これについては以前にも色々書きましたし、Arturoさんからも詳細なコメントがありましたが、まあ、要するに、この中ではマルテンスのスプリントがピカイチだったのに、彼のフランドリアチームはシマノが付いていたため、メルクスがお前は勝つな!と言った(マルテンス自身の主張)という「伝説」?「神話」? があります。
またツールでは65年、ネオプロとして22歳で優勝しています。これはジモンディにとってものすごくラッキーなことでした。1つは、本来彼はツールのメンバーに選ばれておらず、病気になった選手の代わりに出場することになったということ、そしてもう1つは、何より怪物メルクスがまだ登場する前だったことでしょう。そしてこの勝利によってプリドールがまたまた2位になったのでした。
ジロでは3回総合優勝してますね。しかしここでも69年の優勝は微妙なものでした。
この件についてもすでに書きましたが、つまりメルクスがドーピング違反を理由に途中で失格にされて、繰上げでジモンディが総合トップになり、そのままマリア・ローザを守ったのでした。ところでジモンディはジロに14回参戦していますが、全て完走、しかも15位以下になったことがありませんでした。
そしてブエルタは68年に総合優勝、この時点で三大ツールに勝った二人目の選手になったのでした。一人目はアンクティルです。
さらに、パリ〜ルーベとグランツールの両方に勝った最後の選手というのはケリー(ブエルタ88)が最後ですが、ジモンディはパリ〜ルーベにも勝っています。他のクラシックでは、ミラノ〜サンレモ、ジロ・デ・ロンバルディア(2勝)などですね。イタリアチャンピオンにもなってますね。
1998年パンターニがツールで優勝した時、表彰台に上ってマイヨ・ジョーヌを手渡した初老のジモンディ、とても品が良く、穏やかで、スタイルも良く、格好良かったです。でももうあれから20年以上になるんですね。
合掌
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