
先ほど読み終わったところだけど、いやあ、むちゃくちゃ面白かった。時代と小説の繋げ方、切り取り方に感心した。
僕よりも少し前の世代だと、文学というのは男子がおのれの一生をかけて悔いなきもの、たとえ人生を棒に振ったとしてもそれだけの価値があるもの、というイメージは素朴に信じられてたはずだ。それを称して斎藤美奈子は「ヘタレ知識人」や「ヤワなインテリ」の貧乏自慢、タワケ自慢、恥自慢と一喝、昭和初期の私小説とプロレタリア文学もどちらもこの傾向があると喝破する。斎藤美奈子は僕と同じ年。だけどこんな表現、絶対男には思いつかない。これって変な意味ではなく、女性だからこそ見抜けたんじゃないかなぁ?
1960年代から10年ごとに区切って2010年代(2018年)までの社会的な背景をからめながら、その時代の主流となった文学的傾向が実にうまくまとめられている。伝統的な「私小説」と「プロレタリア小説」という括りが現在にまで姿かたちを変えて連綿と続いていることを明らかにする見立ても痛快。私小説が郷ひろみに繋がってっちゃうのなんか、怒る人もいるかもしれない 笑) それ以外にも、あまた出てくる「決めの言葉」に笑わされる。
例えば、平野啓一郎の西洋中世を舞台にした「日蝕」を「コスプレ」と称しているのは大笑いした。あるいは村上龍を「破壊派」、村上春樹は「幻想派」、中上健次は「土着派」なんて言う。個人的に記憶に残る小説が出てこなかったりすると残念だけど(例えば僕としては在日韓国・朝鮮人作家たち)、切り取り方だから致し方ないだろうし、きっと文学史的な意味での名作はほぼ網羅されているんだろうと思う。
あちこちに赤ペンでラインを引き、紹介されている小説で面白そうなものがあると付箋を貼って、実に楽しい読書体験だった。こうして時代ごとに分けて説明されると、自分がかなり偏った読書をしていることもわかった。60〜80年代の小説に比べて、90〜2000年代の小説は読んだことがあるものがぐっと減って、2010年代の小説になると読んだことがあるものが再び増えた。60〜80年代や2010年代だと読んでなくても名前ぐらいは知っているものが多いのに対して、90〜2000年代は題名を全く聞いたことがないものがかなりあった。個人的にこの頃は日本の小説にあまり興味を持ててなかったんだな、と得心した次第。
しかし1960年以後の小説をこうして俯瞰的に見直すと、21世紀に入って新自由主義とやらで弱肉強食化した日本の社会がどんどんひどくなっていることが実感される。何しろ戦争と格差社会とディストピアが21世紀になってからのキーワードとされているぐらいだから、20世紀はいろんな悩み苦しみがあったとしても、のどかな時代だったんだな、と思えてくる。
読んだことがある小説が紹介されていると嬉しいけど、紹介の仕方がうまいので、読んだことがないものは読みたくなるし、何よりその時代とのつながりが実にうまく説明されていて、その説明の仕方が何しろ面白いし、読んだことがあるなしに関わらず、文学は時代を映すんだということを実感させてくれる、素晴らしい本だと思う。
最後に斎藤美奈子は日本の同時代小説の未来の可能性を暗示していますが、さて、それはどんなでしょう?
(加筆訂正しました。4/2、16:20)
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