官僚に蔓延している差別意識。このところ気になっていたニュースを今朝の東京新聞でも大きく取り扱っていた。拙ブログで相模原の障害者施設虐殺事件の時も書いたけど、安倍はこういうあからさまな差別・ヘイトがらみの事件で何もコメントを発しないのはどうしてかな、と考えれば、今の日本の状況がよくわかる。日本を覆っているのは安倍的空気なのである。
数年前に拙ブログのコメントにもピンポンダッシュのように、「何もかも安倍のせいにするアベガー」と書き込まれたことがあった。でも今になってみれば、「何もかも安倍のせい」だったことは火を見るよりも明らかだ。
さて、今朝の東京新聞の官僚などのヘイト感情の話だけど、特に世田谷年金事務所所長という人のヘイトツィートは、見たことがあっただけにショックだった。まさか年金事務所所長が。。。しかもその内容たるや、新聞に載せられるレベルではない悪意に満ちたものだらけ。案の定そうした吐き気を催すような文言は新聞には載ってなかったが。
で、本人は身バレした瞬間に自分のツィートを削除して、個人としてやったことだと強調しながら謝罪した。だけど精神科医の香山リカの本名と偽って韓国風の名前を挙げるフェイクツィートをたくさん発していたので、年金事務所所長だから知っているのだとみんなが思ったようで、香山リカは韓国・朝鮮人だというデマが広まった。
これってものすごい悪質なことだと思う。一時期社民党の福島みずほが韓国・朝鮮人だというフェイクニュースが広まったことがあった。福島はそれを無視したので、それをいいことに、このデマはかなり拡散したらしい。こういうデマって否定の仕方が難しい。変な否定の仕方をすれば、逆に差別心の発露とみなされかねないからだ。思い出すのは俳優の米倉斉加年がモランボンのコマーシャルに出たことで、子供が学校でいじめにあい、「お父さん、うちは朝鮮人なの?」と聞かれた時、米倉が「そうだ、朝鮮人だ、それで何が悪い?」と即座に答えたというエピソードだ。このような状況で米倉に言えるのはこれ以外になかっただろうと思う。米倉は本当にすごい人だったのだろう。
あるいは昔の映画「紳士協定」で、ユダヤ人のふりをしてアメリカにおけるユダヤ人差別の実態を告発しようとしたグレゴリー・ペックが、学校でいじめられた息子から「僕はユダヤ人なの?」と聞かれた時、母役? のドロシー・マクガイアが、「いいえ、違うわ、あなたはユダヤ人なんかじゃないわ」と叫ぶと、ペックが激しく怒るシーンがあった。このケースなどは「否定すること=ユダヤ人を排斥する側に立つこと」を意味するわけで、このシーンを見た時、なるほどなぁ、と納得したものだった。
差別する心って、偉そうに書いている僕にだってある。
それについては昔書いた。だから人は自分の中にある差別意識を自覚し、それと向き合い、そしてそれを否定しなければならないのだと思う。それを解放してしまったら、人間として堕落したのだ、人間として低劣なレベルに堕ちてしまったのだ、そう考えるべきなんだと思う。
さて、くだんの年金事務所所長氏、つまりこうしたネトウヨ的・差別的なことを散々ツイートして、身バレした瞬間に謝罪したということは、ご本人は自分がやっていることは「悪」なのだということを知っていたということだ。つまり、隠れて「悪いこと」をして、憂さ晴らしをしていたわけだ。それを自覚していたというわけだ。
思い出すのは松本サリン事件で犯人扱いされた被害者の河野さんの話だ。犯人扱いされた時に、自宅には非難する電話が次々とかかってきた。だけどそのほとんど全部が自分の名前を名乗らず罵詈雑言を電話口でまくし立てたそうだ。その後オウムのせいだったことが明らかになると、全国からたくさんの手紙が届き、その多くが河野さんを犯人だと思ったことを謝罪するものだったそうだ。だけど匿名電話のことで謝罪してきた人は一人もいなかった。そこで河野さんは悟ったそうだ。あれらの電話は人々の正義感の現れだと思っていたけど、そうではなかった、匿名の電話は個人的な憂さ晴らしだったのだ、と。
自分の本名を出して言うことができないような憂さ晴らしはするべきではない、ってあまりに当たり前すぎて文字にするのも恥ずかしい。
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