というわけで、FBには行くぞ宣言をしておいたんですが 笑)昨日は東京の秋葉原の区民館で、上記のスペインの映画監督ビクトル・エリセの「エル・スール」についての講演があり、聞いてきました。
映画「エル・スール」については一昨年渋谷で上映されて、その時拙ブログでにも書きました。その時にもちょっとだけ書いたけど、この映画って最後が変に思わせぶりなんですよね。父の過去(南の地=エル・スール)へ向かう決意をするところで終わり、その後少女はどうしたのかがわからない。
今回はその、「映画にならなかったその後のエル・スール」について、シナリオがあるそうで、その本邦初の解説付きで、色々面白かったです。
監督のビクトル・エリセは、スペイン内戦後の敗北した共和派を密かに支持していた人々がその後「内的亡命者」となって、ファシズムの社会の取り込まれることなく、かといって明確な形で反抗はせず(明確に反抗すれば殺されますから)、ただただ精神的な意味での拒絶をし続けたことに注目し、そうした登場人物を映画に描き出してきたということは、なんとなくそうだろうという気がしてました。
「ミツバチのささやき」のお父さん、夜な夜なラジオで密かに外国の放送を聞き、森を子供達と歩きながら毒キノコを憎しみを込めて踏みつける姿には何かあると思わせるものがありましたが、この「エル・スール」ではそれがもっとはっきりとセリフの中でも説明されています。
スペイン内戦は、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」でも主人公は共和派だし、
やはり拙ブログで紹介したことがある「蝶の舌」(今回、この映画について一言も出てこなかったのはちょっと不満でしたが)でも主役はやはり共和派の老教師でした(しかもこれをやっていたのは、上記の「ミツバチのささやき」のお父さんと同じ俳優)。一方ファシスト側の男はいかにも悪党ヅラでした 笑)敗者側が主役にならないと悲劇性が高まらないのかもしれないけど 笑)、スペイン映画でファシスト側を主役に据えた映画は、フランコ政権時代だとあるのでしょうかね?
一方で共和派が必ずしも善と言い切れないのは、そこにソ連(スターリン)の影が見えがくれするからで、共和派のために銃を取ったジョージ・オーウェルはのちにスターリン主義を批判する「動物農場」を書くことになります。
何れにしても、敗れた共和派は処刑されたり収容所に入れられたり亡命したりするわけです。そして、僕にとって
「地球が滅びるときに見ていたい映画」ナンバーワンのタルコフスキーの「鏡」の中でも、実に唐突に隣の部屋でスペイン人たちが何人も集まって喋っているシーンが出てきます。その間に挟まるのはスペイン内乱の記録映像で、あそこで出てきたスペイン人たちは共和派(親ソ連・スターリン)の亡命者たちだったわけですね。
と、どんどん取り止めがなくなってきました 笑)講演では他にもキーワードとして「霊力」というのが出てきたんですが、思い返せば「ミツバチのささやき」でも主人公の少女アナは最後のところで「霊力」を使ってフランケンシュタインを呼び出すし、もしかしたら子供にはみんなその「霊力」が備わっていて、それがその他のキーワードの「自然」や、霊力を忘れない大人としての「詩人」(=社会に取り込まれず歴史に抗う映画作家など、つまりエリセ自身も含まれるのでしょう)なんかにも繋がるのかなぁ、などと思ったりしましたが。。。
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