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デーゲンコルプのインタビュー(1)

2019.01.18.13:57

ダウン・アンダーも始まり、なんだかんだ言ってもやっぱりサガン、強いですねぇ。ま、総合はCCCのニュージーランド人みたいだけど。

というわけで、今日は rsn ではなく、cyclingmagazine.de に出ていたデーゲンコルプのインタビュー。拙ブログとしては2010年、U23時代から追いかけていた選手。当時デーゲンコルプの名前を知っていたのは浅田さんと俺ぐらいだろうと 笑)

そんなデーゲもどんどん有名になりミラノ~サンレモとパリ~ルーベを取り、事故で今一つのまま、やっと去年はツールのステージを取って、知らぬ間に30歳。やれやれ、こちらも歳とるわけだ 笑)

というわけで、日本語版ヴィキペディアではヨーン・デーゲンコルプと表記されてます。拙ブログでも最初はドイツ語読みしてヨーンと書いていたんですが、昨今のドイツ人の名前はアメリカ風、イタリア風、スラブ風、さらには移民も増え、トルコ風、北アフリカ風、中央アフリカ風となんでもありになって、読み方も多様化しているし、まあ、これはドイツ人のほとんどが普通にジョンと英語風に読む名前でしょうね。

さてこのインタビューあまりの長さに数回に分けますが、今年の目標やクラシックについて以外にも、チームメイトやワット計測の話など多様なものになっているようです。「ようです」と書いたのは、僕がまだ全部読んでないからだったりします 笑)



Cyclingmagazine: ジョン、まず振り返ってみよう。2018年は君に取ってアップダウンの激しい年だったね。僕らはみんな君のルーベでの勝利を期待していた。でも辛い時期になってしまったね。どうだったの?

デーゲンコルプ: 2018年はスーパーグッドなスタートだった。マヨルカチャレンジで二つも勝てた。でもパリ~ニースの前に体調を崩し、レースではどんどん走れなくなった。この時点では最悪だったね。レースを一つぐらい休んだところで回復できそうになかった。みんなが【トレーニングで?】負荷をかけ始めたのに、僕はそれができなかったんだ。E3ハレルベケでそれを実感した。レース中にできることがほとんどなかったんだ。

CM: それからルーベの前で落車があったね。それで膝を怪我し、そうこうするうちに長く休まなければならなくなってしまった。最悪だったね?

デ: うん。クラシックシーズンの後はひどくきつかった。僕のキャリアで最低だった。どうすればいいのか、そしていつまで続くのか、それがわからなかったのがこたえたね。もともとパリ~ルーベの後は家に帰り、それからアムステル・ゴールドを走るつもりだったんだ。でもそれは良くないと思って最終的に全てキャンセルした。怪我した膝の粘液嚢は曲げ伸ばしがタブーだったから。この時期が最悪だったね。サポートしてくれた人に、特に僕の家族にはとても感謝している。

CM: どうやってそこから這い上がったの?

デ: 僕は完全に最初から作り直しをした。僕のトレーナーはスウェーデンから来てくれた。ハードだったよ。そうしてツール・ド・スイスに出たんだ。最初のうちはとんでもなくハードでツールのスタートに間に合わないと思ったんだ。だって調子がそのレベルじゃなかったからね。でも第7ステージで突然パワーが戻ってきたんだ。まるで誰かが肩を押してくれて、排気量が増えたみたいだった。その後のドイツ選手権もうまく走れて、ツールに間に合ったというわけさ。ツールにはリラックスしてスタートした。参加できたことが本当に嬉しかったね。

CM: そういうリッラックスした感じは色々なことがあったから?

デ: うん、僕も考えてみた。友人のイェルクが前の年に亡くなって、これが困難な状況をうまく乗り越えるのに力を貸してくれた。人生ってのが、それがやってくるように受け入れ、そのなかで最良のことをするべきだって思ったんだ。

時間がどんどん過ぎていくってこと、それは本当にものすごいことだよ。経験したこと、成し遂げたこと、それに人は感謝すべきだ。僕だってそうだよ。自分のできたこと、成し遂げたことに感謝しなければならないし、それを正しく喜ばなければならない。そしてそれが当然のことだなんて考えては、絶対ダメなんだ。例えば、僕は2016年にひどい事故にあったけどなんとか乗り越えたのを考えたって、それに感謝しなければならないと思えるようになるのに時間がかかった。

CM: 事故までは君のキャリアはどんどん上り調子だったけど、あれで停滞してしまった。それを乗り越えることがいかに大変なことだったか、今ようやくわかったということ?

デ: うん。事故をちょっと見くびっていた。あのような状況でも、僕はすぐに忘れて、単純に元どおりになると思っていた。だからあの後も事故のことを思い出し、長いリハビリを行った。だけど、僕が競技を続けられるようになったのがどれほどラッキーなことだったかを理解するまでには時間がかかった。事故の影響は残ったし、トレーニングの遅れも明らかだった。全てを終わったことにできるまでに随分時間がかかったんだ。

CM: それゆえにツールでのステージ優勝があんなに特別なことだったの?

デ: うん。あの時の写真を見ると、今でも感情が高ぶる。本当に素晴らしいことだった。
ROT_DEGENKOLB_TDF150718043.jpg

© http://www.cyclingmagazine.de/2019/01/14/interview-john-degenkolb-ueber-hoehen-tiefen-powermeter-gravel-hype-grosse-ziele/

CM: しかもよりにもよってあのルーベゴールのステージで。。。

デ: ちょっと上手くいきすぎだったかな(笑い)。僕の奥さんは、あんたはいつでも美味しいところだけ食べるんだから、って言ってる。勝つレースはいつでも特別なレースばかりだって。

ツールのステージ優勝が特別だったとしても、やっぱりパリ〜ルーベの勝利の方が重要だと思ってる?

デ: うん。全く違うカチだね。ドイツではツールに特別な焦点が当たるけど。ツールでのあのステージ優勝は困難な時期のあとだけに、僕のキャリアの中では特別エモーショナルだった。でもパリ〜ルーベは別のものだね。

以下続く。



見直しなしなので多少の誤訳勘弁 笑) 後の方を読んで間違いに気づくこともよくあることなので、その時はまた追記します。 というわけでこの先長いようですが、乞うご期待。


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アンコウ

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あんけ・たつや。欧州ロードレースに興味を持ってすでに30年以上。主にドイツ人選手を応援。特に青田刈りにいそしむ。歳にも関わらず、あらゆる点ですごいミーハー。そのほか好きなものは、読書、音楽はバッハと友川カズキ、北方ルネサンス絵画、映画、阪神タイガース(村山、江夏以来ですが、強すぎないこと希望、弱すぎはもっと困るが)。北欧の社会民主主義に対する憧れ強し。家族構成は連れ合いと娘三人。

* 時々コメントが迷惑コメントとしてゴミ箱に入れられることがあるようです。承認待ちが表示されない場合は、ご面倒でも書き直しをお願いします。2017年8月3日記す(22年3月2日更新)

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